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「無責任な楽しみ」の追記

さすがに深夜にかなり酔った状態で殴り書きしただけあって、訳わかんない作文だ

一応論点?を整理。

恐らく、書きたいと思われている「純粋な500人」を突き詰めてくアプローチだと「答え」は出ないのではないでしょうか。都合の悪い部分をノイズとして切り取ってしまっているから。何らかの結論がでたとしても耐久性のあるものではない。
結局「不純物が混じっているホームの1万人」との関係性をどう意識していくかだと思っています。

・なぜ、1万人の中の500人になりたいと思うのか
・1万人では不純物が混じり、500人だと混じらない理由はなんなのか
・不純物が混じっている状態が、サッカーというエンターテイメントを魅力的にしているのか

さみ〜タンのこのエントリーがすごく不完全に見えるのは、単なる現状のプロット(1万人)と理想論(500人)が混在しているからで、それでも魅力的なのは、現状容認から一歩踏み出した(あるいは踏み出そうとする)気配を感じるからです。

てな訳で新たな世界観が提示されることを期待しつつ、仕事に戻るw

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コメント

>ホームであろうがアウェイであろうが、不純物はいらない

おいらの場合、三ツ沢も遠征なのでw到着する頃にはすっかり非日常モードに入ってるから過敏なのかも知れませんが、いつだったかの試合後、帰路に着く客たちの喧騒を聞きながら「あー、ホームって”家”なんだなあ」としみじみ思ったことを思い出しました。
物理的に日常の延長にあること、これはおいらにとってはとても羨ましいことでもあり、また、やっかいなことでもあるわけですね。

なーんてことを、普段家ですっかりと不純にまみれた日常を送っているおじさんは考えてしまいましたw

ではおいらも仕事しる!

ぶタン、どもども。
レス遅れてすみません。

>物理的に日常の延長にあること

あ、これはよいキーワードw
物理的に日常の延長である人間が、非日常を求めるからこそスタジアムの存在意義がある。

この辺の我侭っぷりを知っているのは、横浜FCのアドバンテージだと思っています。
いまだにおいらはその部分になれなかったりするのですがw

なんにせよ、お仕事頑張ってくださいw

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