« 貴重なる1ページ | メイン | 当たり前、なんだろうな »

憎まれ口的10月29日

この日を忘れた人なんか、殆どいない。
しかし、この日に何か書こうとする人間も、もう少ないだろう。
そんな日に、あえて憎まれ口を叩いてみる。
例によっての作文なので、便所の落書きをみて熱くなっちゃうような奴は、読まないように。
___

ここ(「フリューゲルス」参照)にも書いているが、俺は、10月29日に「あの日を忘れない」という奴が大嫌いだ。

あの日、特例としてFマリが生まれ、その後「同じように」特例として横浜FCが生まれた。
俺たちは、全日空、日産と同じ、特例の上で生きている。
そして、あの日から現在に至るまでの横浜FCの歴史は、特例に対して何ら価値を与えることはできなかった。
___

スポンサーがなくなったら。
母体企業が撤退したら。

危機だけは、相変らず存在し、いろいろなチームを脅かし続けている。

あの日を忘れない?
OK、当たり前だ。
で、あの日から今まで、お前は、何を得、何を学んだ?

同じような危機を背負ったチームに対し、今、お前は何が提示できる?
恩人たちに対して、今、お前は何を提示できる?

まさか存続のバナーを張って終わりじゃねーだろう?

俺にはないよ。何もない。
差し伸べる手も、参考にしてもらう知恵もない。
反面教師的な教訓が、わずかにぶら下がっているだけだ。
恥にまみれた人生だが、このことは、俺の人生において、最も恥ずかしいことのひとつだ。
___

「あの日を忘れない」

そうしてくれ。
でもな、本当に忘れてはならないことは、あの日から今日までの間、横浜FCに関わる人間は、自らの意思で、あの日を風化させる選択をし続けたことだ。
そのことへのコメントなく「あの日を忘れない」とか言っている奴は、全く信用するに値しない。
___

もちろん、過去を蒸し返すつもりは毛頭ない。
第一、あの日から今日までの出来事は、残念ながら全て「必然」であった。
それくらいの自覚はある。
___

フリューゲルスにもなれず。
新しい価値も生み出せず。

惨めだな。本当に惨めだ。
顔を上げず、後ろを振り向いて生きていったほうがいい。
普通の感性の持ち主であれば、そうするだろう。

でも俺は、恥知らずにも、三ツ沢に向かう。
フリューゲルスを生かしたい。
まだそんなことを考えながら、三ツ沢へ向かう。

やるべきことは、残された選択肢は、一つだけだ。
___

サッカーの文脈において、横浜FCを、本物のチームにしよう。
サッカーの文脈において、三ツ沢を、最高のスタジアムにしよう。
日本で最高のクラブになろう。

そうすれば、このチームの歴史に興味を抱いてくれる人が必ず出てくる。
その人たちは、フリューゲルスというチームがあったことを知るだろう。
最高のクラブに繋がる、フリューゲルスという名のチーム。
その人たちに刻まれたフリューゲルスの名前は、俺たちの胸の中にあるフリューゲルスの名前よりも、ずっとずっと価値がある。
___

フリューゲルスと横浜FCの関係なんか、ぐちぐち悩むな。
そんなこと考えるぐらなら、今日に限らず、フリューゲルスを語ればいい。
遠慮することなんてない。
フリューゲルスをタブーにするな。俺たちの歴史だ。胸を張って語ればいい。

そうすれば、自然と見えてくる。
フリューゲルスとの差を「欠落」としてしか捉えることのできない、クズどもの姿が。
これからのために、捨てなければならない病巣の一つだ。
___

自らの思い出を美化するために切り取った過去に、価値はない。

過去ではなく、未来に、フリューゲルスを置こう。
過去に本当の価値を与えるために。
___

青と白のチームが、横浜には、ある。
存在しつづけている。
最高のチームとなるために。

俺たちが、横浜だ。

いつものように、今日、叫ぼう。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://tsunodama.s33.xrea.com/x/mt/mt-tb.cgi/2501

コメントを投稿

(コメントとトラックバックが反映されるにはつのだまの承認が必要となります。承認まで時間がかかる場合、承認しない場合がありますので、ご了解ください。)