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W杯を決めても、さっぱり盛り上がらないのは何故なのか

代表 

読み返して思ったんだが、昨日の作文はしみじみと冷たい感じがするね。

正直、昨日、自分は全然盛り上がらなかった。
昨日は「やっぱ代表は、オイラにとってセカンドチームなんだなぁ」と納得させようとしていたんだけどさ。
同じような感想をちらちらと眼にすると、なんか違和感を感じるんだよね。つか、きっと他の人がオイラの作文をみてそう思うように、逃げてるように感じてしまう。

眼をそむけないで考えてみよう。
答え自体は簡単なんだ。

今の代表は、自律性という観点で見た場合、かつてないほど完成度が高いのだ。
どんな困難も、自分たちで解決してしまう。
理想的なチームとも言えるし、ファミリーという指摘は実に的を得ていると思う。
ただ、どうしても感じてしまうのだ。
このチームは、サポーターを必要としていない、と。

別に北朝鮮戦が無観客試合だったから感じるわけではないよ。
一本橋をふらふらと渡りながら、それでも落ちなかった3年間を説明するには、運だけでは説明しきれないじゃん。そのキーワードの一つが、自律性なんじゃないかと思っている

ジーコの与える自由が選手達の自律性を生み出した。
そう言えば、普通のスポーツドキュメントでは歓迎されるだろう。
でもサポーターの立場で考えると、それって激しくつまらないんだよね。
代表の試合を見るたびに、まるで自分が、子離れできない親のように見えたり、女を全て子ども扱いする中年男のように見えたり、若いつばめと別れられない中年女のように見えたりするんだから、面白いわけないじゃんw

自分のクラブが一番だから盛り上がらないわけではない。
ましてや本大会が目標だから、今盛り上がらないわけではない。
自分を必要とされないから、感情移入できないんだ。

なお「自分たちを必要としていないからつまらない」というのは、所謂(狭義の)サポーターの心理ではない。一見すると、その対極の存在である(ように思われている)、サッカーのスポーツ的な側面を極端に重視する人たちも同じ心理状態であると推察される。

彼らがジーコを、ある意味ヒステリックに批難するのは何故か?
オイラには、ちょっと不思議だった。「自分の想定した方法論じゃないと許せない人たち」なのかと思っていた。
でも、たぶん彼らも「役に立ちたい」と思っているのではないだろうか。
監督の目指すものがアナウンスされれば、それを基準にふらつきを把握し、危険性を指摘することができる。
自分の指摘通り修正されれば、なにがしかの満足感をえることができる。
これは、言うまでもなく、(狭義の)サポーターと同じ心理。彼らは嫌がるけどねw
ところが、ジーコは目指すべきものをいつまでたっても提示しない。たぶん、今後も提示しないだろう。
そうなると困るのは、彼ら。
(狭義の)サポーターが常に突きつけられている「自分たちは必要なのか」という疑問を、殆ど意識したことのないであろう彼らは、そして、代替策も開き直り策もとりにくい彼らは、ジーコが辞めるまで、辛い状態が続くんだろうね。ご愁傷様ですw


ただねぇ...
この状態って、代表人気に忍び寄る影って感じがしないでもない。
「役に立ちたい」「必要とされたい」と望む(広義の)コアな人たちとの間に発生したヒビは、恐らくはドイツW杯の終了まで拡がりつづけることだろう。
それでもエンターテイメントたりうるためには、代表の織り成すサッカーが「美学的」にならなければならない。
もしもドイツW杯までに、そういったサッカーが完成するなら、代表人気は続くだろうけどさ。
でも、そのときスタジアムに来た人は、「美学的」ではなくなったときにも、スタジアムに足を運んでくれるだろうか?

その時になってはじめて、ジーコJAPANの歴史的評価が下されるのかも知れないな。


余談だが...

今の代表で、サポーターが必要なのは、ジーコ個人だけじゃない?
そういう風に考えると、鹿島系の人の昨日の喜びって、素直に理解できたりする。

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» つのだまさんの褌(一枚目) from みどりのろうごくblog
または土俵。ちょっと借ります。 サッカー界の僕の席はどこ?ということと、どうしていつも”サポーター”寄りの論者の言うことは、賛否以前に僕には日本語として理解出来ないことが多いのかという問題を解明するヒントになるかもしれないので。 W杯を決めても、さっぱ [詳しくはこちら]

» つのだまさんの褌(二枚目) from みどりのろうごくblog
サポーター派はジーコ・ジャパンの「自律性」によって、(つのだまさんの考える)スポーツ派はジーコの目指すものの「アナウンスの欠如」によって、それぞれに代表への思い入れを阻害されているとのこと。それによる代表とサッカー大衆とのヒビはドイツW杯終了まで(ジーコ [詳しくはこちら]

» [サッカー]もう一週間も経つのね・・・ from 便所の落書 〜ぬきの日記〜
ドイツ行き決定! ・・・盛り上がりに欠けましたね。なんかこう「すんなり」決まった、というか。 すごい疑問なんですけれど、日本代表って「強い」んですか?前にも書いたけれど、薄氷を踏む思いだとか、焦燥感だとか、そういったものがTVで見ている側には皆無になっ... [詳しくはこちら]

コメント

初めてコメントさせていただきます。もう代表から距離をとりたいけどやっぱり愛しているから離れられない苦しさ、て感じですか?「監督の目指すもの」はサカマガのインタビューなどで明確になっていると思いますよ、それは泥臭くしぶとく勝つこと、ジーコ批難派が嫌う理由は目標のずれと、華麗なパスサッカーが見られないためでしょう。正直見ていて苦しいですよね。その方が勝利に結びつくとジーコは考えている、結局思想や好みの問題だと思いますよ。

http://torcida12.net/index2.htm
鹿島サポも代表を楽しむためにあえてジーコ信者を演じてるんじゃ?w 
代表が盛り上がらないのは、予選突破は義務のようになってしまったことと、クラブを愛する人が増えてきたってだけでしょう。これも正常な事だと思いますよ。アトランタ五輪予選を突破したときは涙しましたが、アテネ予選のときは、今回のWC予選突破と同じくホッとしただけでしたよ。山本五輪代表が選手の自律性で完成度が高いとは思えませんでしたし。何が何でもジーコが原因に結び付けようとすると無理出ません?

初めまして。今回読ませていただきまして、私自身の胸のつかえも降りた気分です。ありがとうございます。笑。
2002年日韓W杯の代表は予選免除でしたから、現代表は1998年フランスW杯代表と比較しがちです。時の流れがありますから、当時とJリーグを取り巻く環境も違いますし、比較しても仕方ないのですがね。苦笑。

「ジーコJAPAN」という名称が、ジーコという人物の所有物という固着観念がついてしまっているんでしょうね、私は。だから疎外感を勝手に感じたりしちゃってるのかも。まさしく「若いつばめと・・・」なのかもしれません。
やっぱり「日本代表」がいいな、「俺達の代表」っていうのがいい。

ジョホールバルの時、中田英が試合終了後インタビューで「代表は何とか盛り上がったんで、あとはJリーグを盛り上げてくださーい。」って言った時、当時なんだか凄く嬉しく思ったことを、今回の北朝鮮戦後にふっと思い出しました。

はじめまして。サポティスタ経由で初めてこちらを見たのですが、興味深く読ませてもらいました。
ただ、代表が盛り上がらない件について、僕としてはいまいちしっくりきませんでした。

何かサッカー好き以外の圧倒的多数の国民の視点が欠けているように見えるからです。(生意気だったらごめんなさい)

このコラムを読んで、最近よく「代表<クラブ!という人が増えている」との意見を漏れ聞くことを思い出しました。
サッカーに興味がある人の中では、正しいように感じます。
スタジアムに入る人の数も、地道な努力が実って着実に増えてきており、各チームのサポータには、それを実感している人も多いのでしょう。

しかし残念ながら圧倒的多数の人はJリーグに興味が全く無いんです。
解任デモまで参加した僕みたいなものであれば、やれ中盤が間延びしていてモダンじゃないとか、スペースに走ってない、とか批判も出るのでしょうが、大多数の人は明確に「このサッカーおもしろくない」と気づくことさえもなく、ましてやJリーグの着実な進歩など目にも止まらず、サッカーを素通りして、格闘技とかお笑いとかほかのエンターテイメントへ行ってしまうんです。
彼らは、自分がサッカーを素通りしたことさえ気づいていません。無意識にやっていることですから。
それが怖い。まだそういう彼らを捨てていいところまでサッカーのマーケットは成熟していません。
超ライトなサポーターの関心を引いていないというこの1点だけをとっても、ジーコが監督を続けるべきじゃないと思います。

ジーコは選手として天才で美しいプレーをやっていたと思います。人格も立派で選手もインスパイアされるでしょう。でもそのためならばアドバイザーとかでいいでしょう。監督としては、愕然とするぐらい無能と思います。

☆監督としては未熟なコインブラさんが
   ヒデ@中田の提起、挑発、刺激に、徐々に反応して動き始めた
   ツネ@宮本などなどプレーヤーたちからも、
   やっと、いろいろと提案される段階になり、
   何とか、あれやこれやの総合的結果として、
   ハラハラ ドキドキで予選突破していった、
   その全過程を
   楽しめ、
   だんだんと思い入れが強くなってきています。
☆ツネがまとめ役を越えて、
   どんどんヒデに反論もしていけるようになり、
   アレックスなども より高いレベルでヒデと議論していけるようになり、
   などなどが、
   プレーで表現されていく方向に、
   サポーターとして挑発していきたい!!!
   と強く思い始めています。
   コインブラも、もっとレベルアップしてもらう方向に!
☆ワクワク、
  興奮できる攻撃が、超すくないのですから、
  「自律性という点で完成度が高い」とは、なかなか見えませんねぇ。
  何とか、自律性を獲得しつつある思春期だから、
  ハラハラしつつ母性&父性「本能」でサポートしたくなってくる感じです。

PS.横浜FCの大株主……
     だいたい情報は掴めつつありますが、
     まず、今年度末には一騒動が始まりそうですね。
     ご本人@39歳は良さそうな面が感じられますが、
     J1へのビジネスはドライにならざるを得ませんから、
     だんだんショックは大きくなりそうです。
     ま、僕は、10年計画のサポですから。。。。

はじめて投稿させていただきます。

私はジーコを否定してきた大多数のサポーターの敗北だと感じます。しかし、彼らはこの
敗北を認めないで、今度はジーコのサッカーは
おもしろくないからやめろと主張します。結局
サッカー人気の衰退はこういうところからはじまるのではないのでしょうか。サッカーファンが
サッカー人気を停滞させているのです。とにもかくにもサッカーファンは傲慢な人間が多いように感じます。W杯予選前、ジーコは日本代表を本戦に出場させることはできないと主張した
人間がどれだけいたでしょうか。そして、本戦出場を決めたら、当たり前だと主張する人間が
どれだけ多いことか。しまいにはおもしろくないからやめさせろとかは何事なのでしょうか?
ジーコ否定派のサッカーファンは、自分達の
敗北を認めて、もっとジーコ
監督に敬意を払うべきではないでしょうか。
そして、今後はジーコのサッカーから何かを
学ぶべきではないでしょうか。
今回のことで、西武ライオンズが強かった
1990年代の前半のことを思い出しました。
あの時ライオンズは常勝軍団としてすばらしい
野球を展開していたにも関わらず、マスコミや
ファンを中心に送りバント批判を行い、チームが衰退していったことを思い出しました。そして
そのことが野球全体の衰退にもつながっていったと私は感じます。

もし、今後もジーコ批判が続くようであれば、
サッカーファンがサッカーを殺そうとしていると
私は認識したいと思います。

 『このチームはサポーターを必要としていない』ですが、これは自分としては必ずしも当てはまらない気がしています。
 確かに去年のアジア杯では日本サポが少なく、現地の人たち中心の相手チームサポ(と書いていいかわからないが)がぎっしりの状態で『優勝』勝ち取った実績はあります。
 でも、今回の予選は試合見に来たサポーター(ここではJリーグの試合見に行く行かないは別の次元です)がいたから最後の最後に勝った試合(1次予選オマーン戦・最終予選の北朝鮮戦のロスタイムゴール)もあると考えています。

なんかわかります。
ただ個人的には「必要としてない」ってよりも、
1、サッカーの内容がつまんない
2、意味不明な強化?って感じのチームの運営
3、レギュレーションがゆるい
と「感情移入できるポイントがない」って事でしょうか。特に「試合自体」を見なれている人にとっては特に。内容がつまんないから「スポーツ的」に見る人にとっては考えようも無く、選手も誰を呼ぶのか分かっててなおかつJで活躍してる選手を呼んだりも無いのでクラブサポやJ見てる人には蚊帳の外に感じるし、なおかつ4.5の広き門であるから危機感も無い。それで漫然と日程をこなすだけとくれば盛り上げる方が至難の技。チームとしても成長というよりこなれた感じになったぐらいで要するにドラマ性があまりにもない。少なくともいろんな意味でサッカー的には。
W杯といっても「W杯」という単語じゃなくその内容・意味で盛り上がるわけで今回は単語にしてしまってるんじゃないかなと…。誰のせいかはいうまでもないけど。
まあ決まってうれしいのはあるけどアテネの本大会みたいなオチは嫌ですな。

なんかわかります。
ただ個人的には「必要としてない」ってよりも、
1、サッカーの内容がつまんない
2、意味不明な強化?って感じのチームの運営
3、レギュレーションがゆるい
と「感情移入できるポイントがない」って事でしょうか。特に「試合自体」を見なれている人にとっては特に。内容がつまんないから「スポーツ的」に見る人にとっては考えようも無く、選手も誰を呼ぶのか分かっててなおかつJで活躍してる選手を呼んだりも無いのでクラブサポやJ見てる人には蚊帳の外に感じるし、なおかつ4.5の広き門であるから危機感も無い。それで漫然と日程をこなすだけとくれば盛り上げる方が至難の技。チームとしても成長というよりこなれた感じになったぐらいで要するにドラマ性があまりにもない。少なくともいろんな意味でサッカー的には。
W杯といっても「W杯」という単語じゃなくその内容・意味で盛り上がるわけで今回は単語にしてしまってるんじゃないかなと…。誰のせいかはいうまでもないけど。
まあ決まってうれしいのはあるけどアテネの本大会みたいなオチは嫌ですな。

コメントは初めてのS.Yです。心の底から一喜一憂できるのかが今回の予選開始前からのテーマであり、(予想通り)できなかった自分にとって、とても興味ある作文だったもので。

「役に立ちたい」に支えられていた代表へのエネルギーが急激に減少したのはジョホールバル。それははっきり自覚しています。初出場決定の達成感はあまりにも大きかった。

ただ今回盛り上がらなかった原因(自分がですよ)が、それだけで説明できるかはまだ自問中。「役に立ちたい」と思えるハードルが新しく代表に見つかれば復活できるのかも、それはドイツに行けばあるのかなとはかない期待も抱いてもいます。

でも、自律性についていえば、完成度が高いと思えるのはあくまで日本レベルの話では。本来、代表なんてのは、強豪と呼ばれる国なら、サポートなんて必要ない選手の集まりなのではと思うので。今回でも、ほんのちょっとその域に近づいたかなという程度。それでサポーター側が距離を感じて、人気に陰りがでたとしてもそれは長い目で見れば正常な姿であつて、今の代表人気のほうが異常なのではと思ってます。

その先の「美学的」もたしかに魅力ありますが。これはなかなか世界的に見ても、達成例は少ないのでは。

えー、コメントしていいですか?
ジーコって愕然とするくらいすごい監督だと思います。

1.まず日本のサッカーの長期的発展を第一に考えている。そこから代表の戦略が出てきている。

2.忍耐強い。さすがにバーレン・北朝鮮とつづいた最終2試合はそれまでのやりかたから離れましたけどね。それにしたって2年間じっくり最初のテーマを詰める、監督としてすごいと思いました。


ジーコが最初に設定したテーマ。ネットで公表されてますけど、知ってますか?

日本サッカーの強化ポイントは、心理面だ。そう言ってましたよ。ですからジーコが鹿島でのやりかたをまったく踏襲せず、辛抱強く、選手を冷たく突き放したと見える(実は練習ではその時々のテーマを織り込んでたんですけど)自由に任せるやりかたが分かるじゃないですか。そしてわれわれが驚くあの強い(心理的にです)代表が出来たと思います。

これが分かればみんな必死に応援できますよ。だってこれはわれわれサポーター自身の成長をも惹起するんですから。

もっともっと心をいれて応援しましょうよ。

『サポーターを必要としていない』というよりは、サポーターのみではなく
『ファミリー以外の存在を必要としていない』んでしょう。

本来『代表』という存在は、A代表とサポーターの関係のみで成り立っているのではありません。
国内の、オリンピック年代・ユース年代・それ以下の年代・指導者・審判...
これら全てとの関係を持っているはずです。
オフトやトルシエの時など、代表の戦術的・戦略的影響は
オリンピックチームやユースチーム、指導者、(そしてサポーター)あたりにも及びました。
しかし、今回そういった「代表の周辺」への影響が薄くなってるのは事実であり、
それが「代表」と「代表の周辺」とを切り離した印象となっているのかと思われます。

もっともそれはジーコの問題ではなく、コントロールしなかった協会の問題といえるんでしょうが。

意外なほど反応がありますな。わかっている人とわかっていない人がいるみたいですが。
従来の理由付けがしっくりこないってのが、この作文のひとつのスタートラインな訳で、この作文を否定(?)するのに従来から言われている理由を持ち出されても、「おいおい」と思ってしまいますw

>>ピルロたん、どもども。
>それは泥臭くしぶとく勝つこと
そうですね。ただこれを基準にした評価というのは勝ち負けでしか下せない。それではある種の人たちの欲求は満たせないということなんだろうと思います。

>>Xc‐80たん、どもども。
>予選突破は義務のようになってしまったことと、クラブを愛する人が増えてきたってだけでしょう。
最初にも書きましたが、ここがオイラの作文のスタートラインになっているんで、結論にこれを持ち出されても困るw

>>九曜紋タン、どもども。
>まさしく「若いつばめと・・・」なのかもしれません。
そこは今回の作文で一番気に入っているフレーズw
オイラ的には「それでも代表を応援するさ」って感じでサポーターが開き直れば面白いなって思っています。

>>pixyタン、どもども
>まだそういう彼らを捨てていいところまでサッカーのマーケットは成熟していません。
そんなことないです。逆に生半可なマーケティング的な発想が、今の状況を呼び込んでいると思っています。
できればオイラの昔の作文でも読んで見てください。憎まれ口シリーズとかサポーター論とか。

>>みつしタン、どもども。ご無沙汰です。
>ハラハラしつつ母性&父性「本能」でサポートしたくなってくる感じです。
これって「客観的」な楽しみ方なんですよね。ある意味サッカーじゃなくていい。つかサッカーファンじゃなければ、今回のチームはすごく良いチームだと感じると思うのです。
でもスポーツの本来の魅力って、「主観的」なものなんじゃないでしょうか?
オイラは、ファンが「主観的」に感情移入しやすいっからこそ、サッカーはエンターテイメントとして成立していると考えています。ここに対する刺激が殆どないんですよね、今回の代表は。

>>まったくタン
>とにもかくにもサッカーファンは傲慢な人間が多いように感じます。
思わず傲慢な態度をとってしまうところが、サッカーの魅力なんですよ。
面白い、面白くないでチームを批判するのは、無理やりロジックを紡いでチーム批判をするよりも、遥かに健全だと思います。

>>H.Sタン、どもども。
>でも、今回の予選は試合見に来たサポーター(ここではJリーグの試合見に行く行かないは別の次元です)がいたから最後の最後に勝った試合(1次予選オマーン戦・最終予選の北朝鮮戦のロスタイムゴール)もあると考えています。
それをサポーターの力と思わせないところが、ジーコジャパンw

>>西将風タン、どもども。
>ただ個人的には「必要としてない」ってよりも、
>1、サッカーの内容がつまんない
>2、意味不明な強化?って感じのチームの運営
>3、レギュレーションがゆるい
>と「感情移入できるポイントがない」って事でしょうか。
本当にそうなの?それだけなの?ってところが今回の作文のスタートラインです。

>>S.Yタン、どもども。S.Yoshidaさんですよね?
>本来、代表なんてのは、強豪と呼ばれる国なら、サポートなんて必要ない選手の集まりなのではと思うので。今回でも、ほんのちょっとその域に近づいたかなという程度。
まさしくおっしゃる通りだと思います。
各国の代表事情とクラブ事情とサポーター論を組み合わせると、結構面白いネタになりそうな予感がありますが、誰か書いてくれないかなぁ、と思っていますw

>>12thタン、どもども。
>日本サッカーの強化ポイントは、心理面だ。そう言ってましたよ。
(略)
>これが分かればみんな必死に応援できますよ。
それは無理だと思います。
ロジックをよりどころにする人たちにとって、それは精神論にすぎないから。

>>飛魚タン、どもども。
>『ファミリー以外の存在を必要としていない』んでしょう。
そうですね。おっしゃるとおりだと思います。
ただ、それについて負の影響が一番早くでるのが、サポーターなんじゃないでしょうかね。

はじめまして。
いまさらですが、コメントさせて下さい。
と言っても、やっぱり「スタートライン」に帰るような気がします。
代表サッカーがつまらない。魅力がない。
で、いいんじゃないでしょうか?
自分が単純だからかかもしれませんが。
ジーコ監督が監督だからとかではなく、
選手達が面白くないサッカーを展開している気がします。

『サポーター』って言葉の賞味期限が切れたって言うことでは?

『J』13年目にして。。

『サポート幻想』から開放されれば、
野球を始めその他のスポーツと同様
『ファン』として永続的に楽しめるようになっていくでしょう。

コメント欄を読み返して思ったのだが...
オイラはあらゆる人へのエールで書いたつもりが、あらゆる人から反感(?)を受ける作文になっているようだw 面白いモンである。
ちなみに結構長い間書いているので、ある程度継続して読んでいるということを前提としている。一見さんは、できれば、過去の作文に眼を通してからコメントしてくれるとうれしい。この作文に限ったことではないが、あきらかにオイラとは考えの違う人から賛意を貰ったても、困るw

>>ナツキたん、どもども。
>代表サッカーがつまらない。魅力がない。
つまらないって理由付けは、アリだと思います。これは人間の欲求から発せられる言葉だから。
役に立ちたい、必要とされたいと、同じ。
そこに向き合わずにロジックを使おうとするから、ある種の人たちは、変な方向に飛んでいってしまうんだと思いますけどね。

>>袋小路ましまろタン、どもども。
>野球を始めその他のスポーツと同様
>『ファン』として永続的に楽しめるようになっていくでしょう。
やれやれ。
ファンとして永続的にいることと、永続的に楽しむことは、繋がらない。
その無神経さが、興行としてのスポーツの発展を阻害しているんだよ。
恐らく自覚がないだろうから、何言っても無駄だと思うけどねw

私の書き込みはどちらかと言うとpixyさんへの反論でしたね。つのだまさんの意見は読み直すとわからんでもないです。去年レッズとレッズサポに当てはまることもできるのかなという
感じでもある。間違って解釈していたらごめんなさい。

>ロジックをよりどころにする人たちにとって、それは精神論にすぎないから。

ありゃ、それ逆じゃないですか?心理学って立派な学問で。

むしろサッカーのスコープを狭い論理にとじこめるしか出来ない人が問題ジャン。

「ぼくのプレミアライフ」でもみんな読むといいのにね。日本のファンて、ニック・ホンビーの
世界までいってないんかな。ああなるといいのに。

☆主観・客観……
   難しいですねぇ。。。
   説明文にするとああなる、んですよねぇ。

☆ま、僕は、
   ヒデ@中田のファン&サポ?が長いので、
   あの一見「サポを必要としない」かのような彼が
   すごくサポを必要としているように、
   感じつづけていますので……
   彼が出てれば凄く盛り上がります。。
   ヒデも俊輔も小野もいない、あの試合は
   得点の瞬間以外は、あまり盛り上がりませんでした。
   アレの視聴率がそこそこ高かったと聞いて、
   ちょっとビックリ。

☆こういうミーハー的な僕ゆえに
   分析には向いてない、のでしょうね。。。

>「ぼくのプレミアライフ」

「エンターテイメントが欲しければ道芸氏に
会いに行けば良い」でしたっけw?そんな一節を今回の議論で思い出しますね。

たぶん、ワタシは当事者の一人なんでしょうね。
間違いなく、今、人生最っ高の「青春」を感じ取っている真っ最中だから…。
うーん、なんていうか。
ジーコに対する敬意が、本質を知り抜こうとする努力が。
随分ともったいない境遇の差に繋がっているような気はします…。
では。

>>まったくタン、どもども。
pixyタンからは丁寧なメールをいただきました。
>去年レッズとレッズサポに当てはまることもできるのかな
そうそう、といえるほどレッズは見ていないんで、何ともいえないなぁ。去年のレッズって極端な低迷期、ありましたっけ?
↑本当に知らない...
プレミアライフについては、12thタンのレスの中で。

>>12thタン
>心理学って立派な学問で。
まぁ、それはオイラに言われても困るw
つか、そういう視点を「中心に」見ている人は少ないかもね。湯浅タンにしたって、その部分は添え物に近い。
オイラ自身は、心理的側面に着目するほうだとは思いますが、どっちかといえば、選手よりもサポーターの心理的側面が中心です。
あとプレミアライフですが、評価が高いのは重々承知の上で、オイラ的には、ダメなサッカー本のひとつです。
なぜなら、作者にとってサッカーは、最初から与えられていたモノという印象が強いから。エンターテイメントを非常に狭義にしか捉えていない。自らが持つ疑問に対する深掘りがない。言い方を変えれば、あまりにも幸福なんだ。
この本に対してシンパシーを感じるのは、日本の場合、野球ファンだと思う。
そういう意味では、やはりティムパークスの本が、群を抜いていると思う。

>>みつしタン、どもども。
オイラは、中田がサポを必要としていないとは感じたことはないんですよね。
>ヒデも俊輔も小野もいない、あの試合は
>得点の瞬間以外は、あまり盛り上がりませんでした。
この辺は、みつしタンが客観的とは一概にいえないってことですかねw
オイラがそういう視点でみるのは、ウチの選手が代表に選ばれた時だと思います。あ、フリューゲルス出身の選手が出ると、近い気持ちになってるかもなw
そういう意味だと、今の日本代表は、結局のところ個に対する思い入れだけに支えられているのかも知れませんな。

>>NOBU@J-NETタン、どもども。
J-NETは読まない人なので、NOBUタンがどういう「立ち位置」で書かれているのか、今ひとつわからなかったりします。
(コメントを頂いてから、2002年W杯のチケット情報以来、久々にJ-NETをみたのですが、斜め読みではわかりませんでしたw)
なので、今回はとりあえずコメントなし、ということで。
スマソ。

去年、豊満な資金を使って補強を行った強いレッズを見て、もう俺たちサポーターの力は必要ないと寂しく感じたレッズサポーター達は少なくなかったと思いますが、まさに”役に立ちたいサポーター”と同じ心境ではないかということです。

結局トルシエ批判論者のサポとジーコ批判論者のサポは志向するサッカーの違いから対局的にあるように見えても、役に立ちたいという意味では同じベクトルなんでしょうね。

これでどうすっか?

遅まきながらしかも問題提起だけですみません。
W杯を決めても盛り上がらないのは、今はアジアで勝つのは当たり前だからであるという理由も少なからずあると思うのですが、それは本題ではないので横においておくとして、
私が去年の各代表カテゴリーの試合で一番サポーター魂をゆすぶられたのは、オリンピック女子代表でした。それは、単に北朝鮮やスウェーデン相手に大金星を上げたと言う結果、あるいは体の小さい日本人選手が大型外国人選手相手に痛快なゲームをしたと言う判官びいき精神(これはかなりあるが)だけでなく、与えられた条件の中で監督と選手あるいは協会その他スタッフがいかに知力体力精神力の全てをかけて勝利を目指すかという意図が見えまたその方法論に賛成できたからという要素が少なからずあったと思います。思い起こせばあのジョホールバルで延長突入の前に選手とスタッフが円陣を組んだときに最後に栄養士の人も呼ばれて勝利の声を掛け合ったのを見てまさに日本サッカー界総力を挙げて送り出したチームがそこに居ると感じ心から応援したものです。
翻って見たときジーコジャパンについては選手個人の精一杯は見えるがチームの融合体として監督やスタッフの担うべき知力を振り絞っている様が見えません。それを「ジーコジャパンは戦術がない」という表現をする人もいますが見たいのは必ずしも戦術ではなく「勝つためには知力も使うのが当然」だがそれができていないではないかという意味だと思っています。それについてはジーコ氏擁護のご批判もいろいろおありでしょうが、「これが(日本サッカー界が総力をあげて送り出す)俺たちの誇るべき日本代表だ」といえるチームと思えないのであります。それがわれわれサポーターが心からジーコジャパンを声を枯らして応援できていないとすればそのような理由が挙げられると思っています。
つのだまさんの論点とずれがあればお許しください。また議論できたら幸いです。

アクセスリストから、とある2ちゃんのスレを見たら、オイラは「アンチジーコ」に括られていたよ!
オイラは、アンチジーコ派から見たら、ジーコ容認派、ジーコ容認派から見たら、アンチジーコ派w
つか、双方とも許容範囲が狭すぎねーか?

>>こんびにタン、どもども。
要約としてはその通りです。
ただ、オイラはそれでも見続けるサポーターに敬意を表します。

>>inmylifeタン、どもども。
うーん...失礼ながら、特定の方法論しかお持ちでないように読み取れてしまいます。
なぜ「勝つためには知力を尽くしていない」と感じられるのか?
あなたの中で「知力を尽くすということは、こういうことだ」という思い込みがあるのではないでしょうか?
冷たいかも知れませんが、やはりこの辺はスタートライン以前の問題です。
たぶん、この辺を紐解くのに役に立つサイトは別にあると思われますので、そちらをお探しください。

はじめまして。
ジーコの代表を言語化する試みは本職のジャーナリスト諸氏も苦労している由、その中でのこの論考には興味を引き立てられます。
私個人の意見としましては、Y.S氏に最も首肯するものを感じます。ただし、「距離を感じた」というのではなく、距離感を図りかねている、というように考えます。

代表サッカーの中興をオフト以後、と乱暴に区切りして考えた際、ジーコの代表は、戦術が云々というレベルではなく、自律を基礎とした点で初めて代表のあり方として世界水準な代表になったのではないかと思います。
およそ代表チームがサッカーの戦術の最前線から離れてきた90年代に、戦術を押し立てて日本代表は勃興したのであって、それ以外の代表のあり方を知らない。ということは単に距離感を図りかねているだけではないのかと。「距離感を感じる」というのであれば、それこそトルシエ代表において中村俊輔のシンパが感じた「人間疎外」による距離感はジーコの代表とは比較にならんでしょう。むしろそれであれば永井洋一に代表される言説のように、代表選手は全員トイレットペーパーと切り捨てることができるのですし、そういう立場の人間がトルシエ代表に感じていた距離感だのつまらなさだのは、ジーコ代表に対して言われるそれとは比較にならない大きさだったと思います。で、ジーコを巡る批判言説というのは、トルシエに対する永井言説、或いは加茂に対する金子達仁・杉山茂樹言説の如きとは趣を異にするのではないかと。

適切な距離感がわからないというのは、距離を感じると言うよりも苦しいことだと思うのです。拒絶されているのかどうかすらも分からない。「スポーツ重視派」の言説に対して私はそこまで冷淡になれないのですが、少なくとも彼らはオフト以後の代表路線にまだまだ伸びしろを感じていたはずで、自律の必要は当然のように感じつつも、まだ時期尚早と思っていた筈なのです。そこにジーコが、半ば蛮勇を持って自律を持ち込んだ。絶対に必要なものを自分が思っているより早いタイミングで持ち込まれた、その事に関する二律背反から、距離感を掴みかねるのではないのでしょうか。
つまるところ「ヤマアラシのジレンマ」がそこにはあるのではないでしょうか。とかかる単語で陳腐に収斂させる方向は確実に嘲笑の対象になりそうですけれど。

10年遅れのエヴァンゲリオン解説を代表サポーター論に援用すると、結構面白そうだなとは思います。

>>宮島陽人タン、どもども。
もう先頭ページから落ちてしまったため、見られているかわかりませんが...
かなりすっきりと整理していただいていると思います。普段サッカーを見ない人を説得する上では非常に有効なアプローチだと思います。
ただ、適切な距離感を求めているようじゃ、所詮は観客なんだよね。
距離感を超えて感情をぶつけあるところにサッカーがエンターテイメントとして成立する上での、本当の魅力がある。
今「距離感を見失っている人」は、新しい距離感を探すことに汲々とするより、そっちのほうに眼を向けて欲しいと思っていますし、それは常にオイラが主張している部分でもあります。

なお、大変申し訳ありませんが、アニメ的文化論ってのは、オイラにはよくわかりません。この辺、ご容赦願います。

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