優しくて真摯なオイラ
最近の作文を読んだ友人が、メールをくれた。
「最近のつのだまんは真摯だなあw」
そうなのだ。オイラはいつも優しくて真摯なのだ。
時々狂犬と間違えられるのは、甚だ心外なのだ。
真摯な中年。
そこのお嬢さん。つきあうなら、そういう人を選びましょう。
後腐れないですから。
「でも最近は丁寧に書かれすぎていて、自分でフットボールの文脈を見つける楽しさが奪われているようにも感じてちと不満つーか、なんというか。」
...スマン...
「でもフットボールの文脈ってなんでわざわざフットボールと言うんですか?サッカーの文脈でもいいような気がしますが。」
この辺は、ちと書いておいたほうがいいかなって思うので。
少なくとも自分では結構細かく単語を使っているつもり(その割には誤字脱字誤用が多いな、なんて突っ込みはしなくていいから)のオイラだが、意識的にぐちゃぐちゃに使っている単語が2種類ある。
一つは、「サッカー」と「フットボール」。
もう一つは「サポーター」と「ファン」「観客」。
理由は簡単で、自分に一番身近な単語だから。
なんちゅうか、この辺、分類するだけ、整理するだけで満足しちゃう奴が結構多いんだよね。
自分の正義感と合致しない人間を「自分とは違う人間である」と区分するために使われる分類。
ばーか。
根っこは同じなんだって。それを見極めようともせず、安易な構図に安住するなっての。
安易な構図に満足して、何かを切り取ったと勘違いしているようなバカにならないよう、自分を戒めるために、この辺は、あえてぐちゃぐちゃに使おうとしてますし、使ってます。
ちゅうか、一言で言えば、気分次第なんですがw
じゃあ、なんでフットボールの文脈なんだ、って聞かれれば、これも答えは簡単で、最初にそう書いちゃったからです。
んで、書いた後に、オイラ自身が結構気に入ったから。
ただそれだけの理由ですw
浅いんだか深いんだかわかりませんが、とりあえずこんなところで。