« 憎まれ口的サポーター論5 −スタジアムにおける客の種類(前編)− | メイン | そりゃそうだろう »

憎まれ口的サポーター論5 −スタジアムにおける客の種類(後編)−

昨日の続き。
_____

昨日の予告どおり、わかの観戦日記1月9日のコラムに対する答えをまとめてみる。いろいろテクニックを駆使するほど、能力も時間もないので、ストレートに書く。

なお、文中に「女子供」という表現を使用しているが、これは、わか氏のコラム内における表現をそのまま借りたものである。今更こういう上っ面の言葉でガタガタいうバカもいないと思うが、念のため。
「わか氏が使うのは許せるけど、つのだまが同じ表現を使ったら許せない」という奴もいるだろうからな。
まぁこれも人徳って奴よ。ちゅうか、逆人徳。
_____

わか氏のロジックは「チームを強くしたいのなら、マナーを守れ」ということだと理解している。

●強いチームを作りたいのなら、サポーターが観客増に貢献しなければならない。

●サポーターの姿が観客増に結びつくためには、人数を確保することを最優先とすべき。

●人数を確保するために、サポーターは女子供が参加しやすい雰囲気にする必要がある。

●だからこそ、マナーを重視すべきだし、女子供が歌えるキーの高い応援を増やすべきである

美しいアプローチである。しかし、横浜FCに関わった人間であれば、どっかで聞いたことのある論理展開だと、すぐに気付くはずだ。

そう。これはまさしく、ソシオが指向していた展開だ
__

しかし、知っての通り、ソシオは崩壊した。

なぜソシオは崩壊したのか。
こう書くと、実は議論が発散する。様々な要素が絡んでくるため、非常に浅いところで思考が止まってしまうからだ。
なので、最近はこう聞くようにしている。

ソシオ会員は、なぜ崩壊を選択したのか。崩壊を選択するソシオ会員は、なぜ生まれたのか。

まさか「ソシオが乗っ取ろうとした」「内部の利権争い」なんて吹聴するキチガイどもの意見を鵜呑みにしているわけではないだろう?
万が一そうだとしたら、その程度の人間に伝える言葉は、ない。
__

わか氏が主張する内容は、既に横浜FCにとっては捨てられたロジックである。

勘違いしてはいけない。
俺たちは、自分たちでそのロジックを捨てたんだ。
そのロジックでは成り立たなかった先に、今の横浜FCがあるんだ。

はっきり言おう。

5年前のレガシーなロジックを持ち出されても、失笑するしかないんだよ。
だからこそ、他のアプローチを考えなきゃいけないんだ。
それこそ死に物狂いでな。

__

少々、穿った見方をしよう。

少なくとも横浜FCにおいては、
・マナーの悪い奴ら=TIFOSI
であるのと同じように
・「女子供」が参加しやすい応援をしている奴ら=サンバ隊
というイメージがある。

わか氏自身がどれだけ一般化を意識しているかわからないが、マナーをTIFOSIと結びつけて語っている以上、もう一つのイメージも強く意識していると推察される。

すなわち、今回のコラムで、わか氏は、統一応援にもっとサンバの応援を取り入れろと言っているのと、ほぼ同義である。

しかし、横浜FCを見つづけている人間であれば、ソシオの崩壊の時ににサンバ隊(当時のASA AZUL)がどのように動いたか、知らない訳がない。前述のキチガイやキチガイの意見を鵜呑みにしている奴らは除くがな。

わか氏は、サンバを擁護するために、サンバ隊がなりふりかまわず捨て去り、踏みにじっていったロジックを使っていることになる。
それって、おかしいだろ?
__

レガシーなロジックにすがるのも結構。
しかし、同じロジックを信じ、その崩壊を阻止するために、あがき、もがき、苦しんだ人たちがいることを忘れるな。
まずは、あのゴタゴタに対して、自身の決着をつけてくれ。
それに向き合う覚悟がなければ、人に対して何も伝えることはできやしないぜ。
批評家を気取るのであれば、尚更だ。
_____

いくつか各論ベースについて触れておく。
_____

■サポーターが、なぜイカレタ行動を取るか

これについては
野安の電子遊戯工房の日記(1月4日,8日)
横浜FCアンテナ内Dead or Alive(1月10日)
を参照して欲しい。
多分、昨日のオイラの作文よりも数段、わかりやすい(笑)

一点だけ補足、ちゅうかどっちかといえば、繰り返しになるが、祝祭空間において、一般論を振りかざしても意味はない。
祝祭の儀式において、生贄をかわいそうと言っても、生贄はなくならないのだ。
本当にそれをやめさせたいのであれば、代替手段(人の代わりに埋められた埴輪のようなもの)を提示した方がはるかに現実的だ。

一般論が当てはめられないからとキーキー騒いでいる時点で、既に現状を捉え切れていない。
暴力反対を叫べば、暴力がなくなると思っている連中と同じだ。
暴力は良くない。当たり前だ。しかし残念ながら暴力でしか解決しないものもある。
一般論の域を出てこない奴ってのは、この辺の現実を受け入れることができないんだろう。
こういう奴は、はっきり言って、平和時にしか役に立たない。
__

■サポーターの優劣を決めるのは、数か

10人の熱いタマシイの応援よりも100人の女子供の歌声のほうが遥かに選手の支えになる。断言していい。
もちろん質だって重要だけれどもまずは数を集めることだ。

各論をベースにすると、ここが最大のポイントだろう。

はっきり言えば、10対100だったら声でも負けないと思う。
ただ、それだと話が進まないので、タマシイのこもった10人よりも、100人の女子供の声のほうが大きいと仮定しよう。

それでも、100人の女子供より、タマシイのこもった10人の声の方が選手に届くと断言できる。

なぜか。
少なくともサッカーの応援においては、声を使うタイミングというものがあるからだ。そして、そのタイミングは、シーズンの流れ、ゲームの流れから自然に湧き出てくるものであり、それを掬い取る感性を持っていなければ、有効な応援とはならないからだ。
女子供に1ゲーム、1シーズン通して、それを望むことはできないんだよ。
(悲しいことにオイラにも、ない)

と、ここで話を止めてもいいのだが、調子に乗って、もう一歩踏み出してみる。

女子供にある程度タイミングを掬い取ることができるリーダーを置いてみたら、どうなるか。
遠くから見れば、それは理想形のように見えるだろう。
ある程度の期間は有効に機能する。
ただ、女子供が成長しなければ、そのリーダーは、どんどん疲弊していくことになる。
__

統一応援の時、サンバ隊と話をしていて一番感じたのは、このことだった。

実はオイラ、サンバ隊が、試合後の話し合いでどんなサポート論を展開するか、ある意味楽しみだった。
オイラ達が必死になって守ろうとしたレガシーなロジックを踏みにじった奴等だ。少なくともオイラごときでは考えが及ばない、眼から鱗なサポート論で、サンバの必然性を語ってくれるだろう。

そう考えていた。

しかし何度も出席した話し合いの中で、サンバにこだわる連中が、サンバをサポート論で説明したことはなかった。
せいぜい出て来るロジックは「女子供が参加しやすい」という自らが捨て去り、踏みつけていったロジックだった。

「ふざけんな」
あのゴタゴタの中でこのチームから離れていった人たちの顔を思い浮かべ、正直そう思った。
同時に、疲弊しきった彼らのリーダーの顔を見て、「あー、女子供の応援に拘るのは、本当に女子供を意識しているわけではなく、自分たちが女子供のままでいたいからなんだろうなぁ」という思いを強くした。

昨日の例に当てはめて言えば、担ぎ手の位置にいながら、神輿の重みを全てリーダーに押し付けようとしていた。

心底呆れた。

自分達の甘えの構造を理解していない(あるいは理解しようともしない)彼らの主張。
サンバ隊(EL CIELO)の解散を知ったとき、驚き、ふざけんなと思う反面、ああいう奴等のお守りをしなくちゃいけない状況じゃ、しょうがねーだろうなぁ、とも思った。
__

数が力なのは、事実だ。しかし数を増やすことを目的としてはならない。
今後のことを考えて、100人揃えるならば、女子供を引っかき集めるのではなく、タマシイを持った人間を100人を揃えるアプローチを考えるべきであろう。

わか氏が、サポートとマナーを結びつけるために、数を最優先にしたサポート論の展開した点は、このコラムの肝であると同時に、最も弱い部分でもある。
サポート論自体の甘さ。やはり、今までの横浜FCの歩みに対する認識の甘さを感じずにはいられない。
__

余談だが...

サンバ隊という表現を使っているが、これは「ASA AZUL」あるいは「EL CIELO」といった団体に属しているか否か、ということは問題ではない。
TIFOSIの周辺にいる奴も含めてだが「自分は○○じゃない」と逃げ道を用意してロジックを展開する奴が多すぎる。

はっきり言って、すげー、ムカつくんだよね。

TIFOSIのメンバは誰も認めてないだろうが(笑)、少なくとも試合中、声を出しているとき、オイラはTIFOSIのメンバだと思ってやっていたよ。

もちろん、論理展開として、双方の警戒心を解くために、偏った立場ではないことをアピールする効果というのは、充分に理解している。でもさ、そんな奴ばっかりだったら話が進まないっちゅうの。

第一さ、一緒に応援していながら、いざっていうときの逃げ道を用意してしゃべる奴なんざ、卑怯以外の何者でもないぜ。

卑怯な人間を擁護するために使われるレガシーなロジックなんか、全く意味ないと、オイラは思っている。
_____

とりあえず、尻切れトンボなのは承知の上ですが、キリがないので、この辺にしとく。

なお、わか氏からは、コラムをアップされた際に、丁寧なご案内を頂いたことを付記しておく。
失礼な文面については、「いつもどおりに書きますよ」とお伝えしており、ご了解を得たもの考えているが、それでもご不快になる表現もあるかと思う。その点は、ご容赦ください。
__

最後によく横浜FCのゲームを見に来る他チームサポから頂いたメールを紹介して、このテーマは終わりにしたいと思う。

「スタジアムにおけるマナーの話ですが、モラルという言葉でも展開できそうな話ですね。」
「私はスタジアム内では特にゴール裏ならmoral(道徳、風紀、品行、素行)よりmorale(士気、勤労意欲)重視の楽しみ方がサッカースタジアムにはふさわしいと思います。」
「横浜ファンってなんでそんなにmoralばかり拘るのでしょうかね。」

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://tsunodama.s33.xrea.com/x/mt/mt-tb.cgi/2559

コメントを投稿

(コメントとトラックバックが反映されるにはつのだまの承認が必要となります。承認まで時間がかかる場合、承認しない場合がありますので、ご了解ください。)