選手のため? −続編−
木曜を過ぎれば余裕が出来るはずであると、頑張っているオイラ。
作文する気力も失せつつあるので、ここで受けた「なんで選手のためってのは、足場が悪いの?」って質問(224番)の回答を再掲してお茶を濁してみたりする。
ちなみに、多少加筆修正している。
加筆修正の跡をみると、恐らくオイラがどこに気を使って、どこをあえて乱暴に書いているかわかると思う。
ネタバレか?
って、そんなマニアはいないか(笑)
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「チームのために」と「選手のために」は、必ずしも合致しない。
こう書いたらイメージしやすいでしょうか?
正直、これでイメージできないなら、恐らく永久に理解してもらえないだろうなぁ、と思います。
そういう人は、レガシーなサポーター論にズッポシなんでしょう。(224さんがそうだと言っているわけではありません。念のため)
理解できる人には言うまでもないことでしょうし、理解できない人にとっては永久に理解できないことだと思うので、以下はすべて余談ですw
選手のために。
これを足場にしている奴は、えてして、野次やブーイングに対して「選手が一番悔しいはずだっ」とかヒステリックに叫んだりします。
あるいは、そういう話を聞いて思考が一瞬止まってしまいます。
第一「選手のため」って言った瞬間、選手に何か言われたら、終わりですよ。
例えば、(そんな奴はいないと思うけどw)選手に一言「俺、厳しいこと言われんの、つらいんだよね」って言われたらどうするの?
コインが裏返ったら立ち往生してしまうような理由付けは、思考の足場になりえません。
厳しい言い方をすれば、選手のためって言葉は、一歩引いた美徳ってイメージに酔っているだけです。
所詮は、後付けの浅いロジック、あるいは浅いロジックを深めないための言い訳。
ロジックを使うなら、応援することに対してもっと積極的に理由付けすべき。
主体的、能動的に関わるということに意味付けできなければ、最終的にサポーターなんか、排除される。
→この辺は、今度サポーター論の中で書いてみたいと思っています。いつ書けるかわかりませんがw
ちなみにこの辺で、オイラ的にカリカリきちゃうのは、浅いロジックで満足しちゃう奴に限って、ロジックを捨てられなかったりする傾向があることも、一因です。
ロジックを使うべきじゃないところに、ロジックを用いて混乱させようとする。
そして、関係を相対化させることだけで満足し、相対化させることに価値があると勘違いする。
ばーか
本当の価値ってのは、相対させた関係の中から、何を主体的かつ能動的に「選択」するのか、ってとことろにある。
上っ面の優しさと空虚な自己犠牲に満足している奴ほど、くだらない奴はいない。
逃げるな。
そして、自分の選択に覚悟と自信を持て。
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しかし、また「優しくない」って言われそうだなw
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ちなみに「優しくない」ってのは、先日友人から「ネット上のつのだまんはそんなに優しくないのは知ってるんで」と書かれたことが契機です。
自分言うのもなんですが、こんなに愛と優しさとエロに満ちた人間はいないと思っているので、全く持って心外なんですが、思わず笑っちゃったんで、使わせていただきましたw
あと、オイラの作文が、今の大きな流れに棹差しているように感じる人もいるかも知れません。
でもね。
あんだけの経験している横浜FCのサポーターって、やっぱ一段考えを深めることができると思うんですよ。
ちゅうか、あれだけの経験をして、レガシーなサポーター論に行き着きました、なんて、めちゃくちゃ恥ずかしいと思わない?
もっと先へ。
いこうよ。
いけるよ。
そう思ってます。
ま、ダメならダメでしょうがないんですけどねw