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J2再開。都合により、ボクの参戦は来週から。

今日からJ2が再開した。
横浜FCは、明日三ッ沢でセレッソを迎える。
でもボクは亡くなった友人を偲ぶ会に出席するため、三ッ沢には行かない。

−−−−−

1996年7月。彼は交通事故により亡くなった。
仕事に翻弄され、大学時代の友人達とやや疎遠になっていた時期だった。
彼の死を伝える友人の電話を、ボクは理解できなかった。電話をくれた友人に対して、怒鳴った。

「ふざけんな、何言ってんだ、お前!」
「ふざけてなんかいねーよ!ふざけて友達を殺せるかよ!」

−−−

葬儀、そして告別式。どちらもとても暑い日だった。

友人は、フリューゲルスの大きなタオルに包まれていた。
ボクは、そのとき初めて、友人がフリューゲルスのサポーターだったことを知った。
フリューゲルスのタオルに包まれ、彼は、そのまま骨となった。

−−−

後日、ご両親から、彼が三ッ沢に足繁く通っていたことを聞いた。
同じ時期、ボクも三ッ沢に通っていた。

何だよ、一緒に行きゃよかったじゃん。

ボクは残念に思った。
でも仕事にかこつけて、友人達との付き合いを疎かにしていたボクに、そんなことを言う資格はない。

−−−

フリューゲルスの合併が発表されたとき。
ボクは真っ先にタオルに包まれた彼の姿を思い出した。

横浜FCが立ち上がったときも。
そして
横浜FCが混乱しているときも。

ボクは、彼の姿を思い出していた。

−−−

彼が生きていたら、横浜FCに対してどういう感情をもっただろうか?
未だにそんなことを考える。

もしかしたら、横浜FCに対して好意的に思わなかったかも知れない。
もしかしたら、ボクの主張を否定していたかも知れない。

それでもボクは、彼がいてくれたら、と願っていた。
できれば、対立する立場にいて欲しい、と願っていた。

彼は、むやみに人のことを否定する人間ではなかったから。
違う意見の人間の話を聞くことができる、懐の深さを持った人間だったから。

彼が対立する立場の人間だったら、もう少しましな方向に持っていけたのではないか...
そう夢想していた。

−−−

毎年この時期に、彼を偲ぶ会が開かれる。
いつの間にか彼の両親を囲んでの、定例の同窓会のようになった。

毎年繰り返される、同じ思い出話。
それが、とてもいとおしい。
そう感じるのは、ボクが歳を取ったからなのかも知れない。

−−−

明日、ボクは彼の墓前で、謝らなければならない。

ゴメン。フリューゲルスは守れなかった、と。
名前は、全く別のチームに奪われてしまった、と。
その魂は、クズのような愚かな人間達の手に渡ってしまった、と。

そしてボクは、それを何一つ阻止することが出来なかった、と。

ゴメン。本当にゴメン。

−−−

彼は、許してくれるだろうか?
わからない。

でも、写真の中の彼は、いつも素敵な笑みを浮かべている。

その笑顔だけが、ボクの救いだ。

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