続:代表発表とひりひりとした気持ち
ステレオタイプに語ってみよう。
△▼△▼△
トルシエおよびスタッフにとっては、確かに「ロジック」があったのだろう。
しかし、それ以外の人間すべては「ロジック」を失ってしまった。
発表から時間が経ち、少し冷静になった俺の最終的に抱いた結論が、これだ。
−−−−−
トルシエ支持派は「トルシエを支持する、過去のロジック」を失ってしまった。
論客達は必死になって今回のメンバが論理的であることを説明しようとしているが、(少なくとも俺の知る範囲で)発表前に、トルシエ支持派が秋田の選出を「論理的に」説明したことはない。そこで語られるロジックは、すべて結果を説明したものに過ぎない。予測に使われないロジックほど、存在価値のないものは、ない。
またトルシエ批判は「トルシエを非難する、未来のロジック」を失った。
彼らが主張していた選手達は選考された。これで、選手選考の偏りをトルシエ批判の根拠にすることはできない。まぁ、少なくとも俺の知る範囲で、選手の起用法について、彼らから論理的な説明を聞いたことはないが。
−−−−−
代表メンバのリストを見た時。正直「なんだこれは?」と思った。
「なんで秋田なの?」「だったらなんで、中山、秋田を今年に入ってから召集しなかったの?」「中山10番は、帳尻あわせか?」「久保、俊輔の引っ張り方は、一体なんだ?」「あのパフォーマンスで、小笠原か?」
様々な疑問が浮かんだ。
あの時感じた「ひりひり」とした気持ちの殆どは、その疑問から生まれたものだ。
しかし、同時に、自分の書いた文章に責任を持たなくていい立場からすれば、今回のメンバ選考に対し、支持の立場でも非難の立場でも、理由付けすることが容易いことに、強烈な違和感を感じた。
驚きではあるが、ロジックを飛び越えてはいない。少なくともトルシエからするとそうであろう。
ロジックを失ったのは、俺達なのだ。時間が経って冷静になり、徐々にアルコールを染み込ませながら、そのことを強く意識せざるを得なかった。そして、今更ながら、「予選が無かった」ことをかみ締めた。
真剣勝負がなかった4年間。結局のところ、我々がトルシエの考える「ベストメンバ」を確認できたのは、今回が初めてだったのだ。
いつまでたっても消えない「ひりひり」とした気持は、そのことに改めて気づかされた自分の愚かさに対するものなのだと思う。
−−−−−
当たり前の話がだけど、もう後戻りはできない。
様々なコメントを聞く限り、恐らく一番タフだと思われる選手達に、頑張ってもらいたい。
あと、何度もいうけど1位通過よろしくね♪