つのだまぶろぐ

2004年02月17日

共同体の代表としての日本代表

市民クラブ。地域密着。
この言葉の先にあるのは何だろう。

今でもぼんやり考えることがある。そしてその度に混乱する。
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企業が抱えるスポーツチームは、広告として位置づけられることが多い。
でもそれは、あまりにも一面的だ。
少なくとも過去における企業スポーツは、会社という共同体の代表(あるいは象徴)としての意味合いの方が強かった。

学生スポーツにしても然り。
ユニフォームに校章を付けた学生達が躍動している姿を、必死になって見つめ、応援するのは、自分がその学校という共同体に属していること(いたこと)を感じるからだ。
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そう考えると、市民クラブ、地域密着という言葉の先にある不確かさが明確になる。
そこには、主体となる共同体(コミュニティ)が見当たらないからだ。
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ちょっと意識的に脱線してみる。

昨年、ゴール裏の若い友人と飲んでいるとき「日本でスタジアムに熱狂を持ち込むにはどうしたらいいか」と絡んだことがある(ホント、嫌な酒(笑))。

彼はさらっとこう言った。

「宗教がチームを持てばいいんだよ」

おー。

「想像してみろよ。創価学会対立正佼成会の日蓮ダービー。スタジアム、燃えるぜ」

天理教対金光教の女性教祖ダービーとか、カトリック対プロテスタントのキリスト教ダービーとか...いいな、宗教リーグ!


ゲラゲラ笑いながら、オイラの中で今ひとつ整理のつかなかった「熱狂」と「共同体」の関係が、すこんすこんとはまっていった。こういう視点を提供してくれる言葉は、本当にありがたい。

念のために補足しておくと、この話はティム・パークスの本を読む前ね。
わざわざ断りを入れるのもバカみたいだけど、誤解を受けるのも癪なので(笑)。
しかしサポーターの作文ってのは、今後「ティム・パークス前」と「ティム・パークス後」に区分されるかもな。

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共同体の結束の強さと熱狂は比例する。

宗教は極端に思う奴がいるかも知れないが、昔の都市対抗野球のスタンドを考えれば、それはイメージしやすいはずだ。

もう一度、市民クラブ、地域密着という、バカ(含む、オイラ)が好きなお題目について考えてみる。
そうすると、2つの弱点が浮かび上がる。

1つは、現時点、地域社会は共同体としては不十分であるということ。少なくとも自ら守るべき共同体の優先順位として、1番に持ってくる人間は、少ない。
これは、興行ビジネスという観点で見た場合、「短期的には」あてにならない層であるということだ。

そしてもう一つ。
地域社会が強固な共同体として成り立ったとき、そこから生まれる「熱狂」は、今お題目を唱える大部分の人間が許容できるものではない、ということ。
これについては、どんな言葉で説明するよりも、創価学会と立正佼成会のゲームを思い浮かべた方が分かりやすいでしょうw
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お題目を唱える人は、実際には存在しない共同体に対して、期待を寄せ、しかし、その期待は、実際に共同体が存在したら、裏切られる。

オイラの混乱は、それに対する絶望感に起因する。

お題目のもつイメージに酔うな。
現時点、そのお題目は、幻想にすぎない。
そして、突き詰めて考えれば、そのお題目の先には、そのお題目を口にする人間が最も忌み嫌う世界が横たわっている。
今お題目を唱える人間は、きっちりとそこに対して言及すべきだと、考えている。
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って、長々と書いたが、実は今日言いたいことは「ほぼ無条件に共同体の代表である日本代表の真剣勝負が明日始まるのに、なんでこんなに盛り上がらないのよ」ってところであったりする。

ホント、盛り上がんないねぇw
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なんちゅうか、みんなどっかで「勝って欲しいけど、ここで負けたほうが今後のためになるんじゃないか」って思ってるんだろうね。
この辺の「勝ってくれ」「でも将来のことを考えれば、いっそ負けたほうがいい」っていう矛盾した思考は、ソシオ時代に経験済みだったりするので、オイラ的には違和感はないのだが、普通は混乱するだろなぁ(笑)

でもこう考えることもできるよね。

どんな内容であろうが、勝てば、OK。
また引き分けあるいは負けたとしても、将来を見据えればOK。
すなわち、明日はどんな結果であろうが、日本のサッカー界においてはプラスである、と。

ま、楽な気持ちでいきましょうかね。

オイラ的な予想は...1点差で日本の勝ち!
内容より、結果よ。

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