表題の割りには大した内容ではない。
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ジーコの鹿島時代の評価と今の評価の違いに、解せないものを持っているのは、オイラだけじゃなかったんだ、と蹴閑ガゼッタ(2月15日)を読んで思った。
これって、単純に「時間」の問題なんじゃないかなぁ。
まったく深みがないけど(笑)
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長期間一緒に過ごせば、その人が持っているパーソナリティの部分が、「指導者としての資質」を補うこともある。
ジーコの場合、過去の輝かしい実績にプラスして
・実績を裏打ちしたプロ意識の高さ
・日本に「わざわざ」来てくれた人格者
という良いイメージがある。
あこがれの選手が人間としても素晴らしいとすれば、たとえ指導者としてのテクニックがなくても、寝食をともにするだけで、充分、指導者足りえると考えている。
(もちろん、オイラは本当のジーコの人格なんて知らないけどなw)
これって別にサッカーに限られる話じゃない。
普通の仕事にも当てはまる。
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でも代表監督っていうのは、チーム作りの時間の短さから、「指導者としての資質」が第一の評価基準になるし、それを別の能力で補うこともできない。
ある意味、かわいそうだな、と。
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だからジーコにはこう言いたい。
「あなたは決して、監督して能力がないわけではない」
「しかしあなたが、あなたの監督としての実力を発揮するには、代表ではない」
「どうだろう、クラブ世界一を目指してみては」
もちろん、オイラはマジだぜ。ジーコならクラブ世界一を取れると本気で思っている。
だから...
誰か、そういう風に、ジーコを説得して、代表監督から手を引かせてくれないかねぇ...
みんなハッピーになると思うんだけどねぇ。