高木解任に寄せて
「高木が連れてきてくれたJ1」
シーズン前から、少なくとも俺には、そういう気持ちがあった。高木とJ1を天秤にかけなければならない時が来ないことを、心底願っていた。それは解任が当然の状況の中でもまだ続いていた。同時に、「情」が何か別ののものに変わり始めていると感じていた。
解任が伝えられて以降の、まるでホッとしたかのような微妙な反応を見ると、かなりの数のサポーターが同じように考えていたのではないかと思う。
「情」という部分を捨てきれないところは、とても横浜のサポーターらしいと思うし、俺は横浜サポーターのそういうところが、本当に愛おしく思う。笑いたければ笑えば良い。「情」がなければ、このチームはそもそも存在すらしていない。
サッカー的にみれば、遅い決断だったろう。「情」という目で見れば、解任自体が許せないだろう。
そして両方を合わせ考えれば、このタイミングは必然なんだと思う。
フロントは、どんな結果になろうとも許容されたであろう高木を切り、「情」が「呪縛」になる前に、戻るべき場所を指し示した。
あと12試合。足掻き抜く。
最後に。
高木さん、本当にありがとう。ひとまずご苦労様。
近いうちまたやりましょう。絶対に。
コメント
書き込ませてもらうのは久し振りです。
あちこち見て回ったけど、結局未だにここに書かれてることが一番しっくりくるんだなw
> このタイミングは必然なんだと思う。
私もそう思います。
常識的に見て、遅いしタイミングも良くない。間が悪い。
解任する”べき”タイミングはいくらでもあった。
でも、フロントを含めた私達が解任”できる”タイミングは無かった。
高木で最後までやりたいという気持ちが決断を遅らせた、というフロントの言葉は信じたい。
その言葉があれば私は納得できる。
> 足掻き抜く。
そして同時にこれも、これがなければ”このチームはそもそも存在すらしていない”
楽しく悪あがきしましょうw
投稿者: k | 2007年08月29日 12:29