らしくない作文
ネット上でネタ探し(人の意見を拾ってきて、そこにカウンターをあてるようなこと)は好まないオイラだが、趣味の会社勤めで辛いことばかりなのでw、ちと現実逃避に「らしくないこと」をやってみる。
まずは、サポティスタのタレコミで紹介(?)されていた浜村さんのコラム。
『仙台の勝敗はどうでもいい。サポーターの高揚について考えたこと』(書いた日は知らん。登録日は2002/04/09だけど)
オイラ好みのいろんなキーワードが散見されて面白いw
浜村さんは、観客をリーダー、サポーター、ファンと分類し、リーダーの悲劇とファンの不満を書いている。
オイラ的に少し違和感があるのは、書かれた年が古いからではなく、「浮動層はどこか」に対する考えの違いだと思う。簡単に言えば、「にわか」はどこに増殖するか、の捉え方が違う。
オイラはファン(所謂メイン・バックの客)を浮動層とし、浜村さんは、サポーター(最近の言葉で言えば、コア層の周りの人間)を浮動層と捉えている。
時系列的要素(歴史的要素ではなく、初めてスタジアムに来た人が、観客としてどう変遷していくのか)て視点を入れると、凄く面白いお題になる予感。
ちょっと考えてみようと思いました。
とホクホク気分にさせられたのとは対照的に、笑っちゃったのが、蹴刊ガゼッタ(2004年5月12日付け)。
「J1だけかい」という突っ込みはあるでしょうが、サポーターが問題視している事をいち早く取り上げた事については評価したいですね。
(略)
鳥栖問題や神戸のチームカラー変更への対応でサポーターの槍玉に上がる事も多い鈴木チェアマンですが、ちゃんと物事をトータルで考えた上で捨てるべきところと拾うべきところを分かっている人だと思いますね。
「鳥栖問題」や「神戸のチームカラー変更」は、「捨てるべきところ」だとさ。
くだらねーw。
サポーターって言葉を口にするなら、サポーターって観点で、鳥栖問題と神戸のチームカラー問題がなぜ捨て去るべきところなのか、きっちり説明してみろちゅうの。
ま、この人にとって、「スタジアムに足を運ぶ人間」ってのは、自分と自分の同種以外、世界の外なんだろうね。
そういう人間が、「サポーター」(別に観客でもファンでも何でもいいんだが)語って、自分の意見を「露骨に」刷り込ませようとしているのをみると、ただあきれ果てるばかりだ。
一応言っておくと、オイラは、自分の意見と違う人間の話を聞いても、何とも思わない。実体験上、オイラと同じ意見の人間を探すほうが大変だしなw
でもこれだけは言える。
今まで、オイラと違う意見をもつ人間が、スタジアムに足繁く通う人間達を、切り捨てることなく説明したことなんて、一度もないってことだ。説明しようとしているところすら、見たことも聞いたこともない。
間違えるなよ。個々の事象に対するコメントなんざ、所詮、カウンターでしかない。問題はさ、「世界観」を提示している(あるいは考えている)かどうかなんだよ。
「世界観」を提示できず、大所高所にたった誰かの代弁者気取ってんじゃねーよ。
自分の立ち位置を見失った奴が「力あるもの」の代弁者を気取るほど、みっともないことはない。
小賢しいカウンターなコメントはしなくていいから、勝手に「良いサッカー」を追及していてください。
ちゅうか「良いサッカー」という視点で言えば「世界観」を持っている人なんだからさ。
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しかし、カウンターな作文は、ホント楽だな。いくらでもかけるぞ、おい。
芸風を変えて、易きに流れたいという欲求に負けそうになるなw