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ソシオは「ありえた」のか?(後編) −ソシオを巡るお話5−

(前編はこちら
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ソシオは、表面的な正しさに眼が眩み、自分たちの生まれたスタジアムに居場所をつくろうとはしなかった。別の場所に楽しさを求め、当然、それを見い出せなかった。
結果、単に苦しみを分かち合う組織となってしまった。
そして、そこで致命的な失敗を犯した。
苦しみを別のものに転化するのではなく、苦しみを負担する要員を増やすことで、それを希薄にすることを指向したのだ。

「1人で10時間の苦しみも、10人で負担すれば1人1時間、60人で負担すれば1人10分ですむ」

数学的には正しい。また発想的に美しい。
が、これでは人は動かない。絶対に。
苦しみなんて、例え1分だって負担したくないものだからだ。
人は易きに流れる。これは、性善説/性悪説以前の問題だ。

苦しみは、分かち合えないんだ。
その上で言う。

サッカークラブが誰かの犠牲の上でしか成り立たないのであれば、そんなもん潰れちまったほうがいい。

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ボランタリーな組織は、苦しみを吸い上げる装置になりえない。
苦しみを分かち合うボランタリーな組織は、短期(あるいは目標達成時点)で解散しない限り、必ず行き詰まる。

苦しみは、ビジネスでしか、吸い上げられない。

念のため言っておくが、現状の企業スポーツ容認じゃないぜ。間違えるな。企業スポーツなんざ、「企業」のボランティアそのものだ。

横浜フリューゲルスから横浜FCの転換は、結局のところ、苦労する人間が「全日空・佐藤工業」から「市民」に置き換えただけで、どちらも「ボランタリーな組織」であることは変わらなかった。主体を「運営会社」と「ソシオ」に分けただけで、結局本質を変えられなかったんだよ。
何度も何度も繰り返すが、例えフロントがどんなにまともな奴であっても、遅かれ早かれソシオは、行き詰まっていた。全日空と同じようにな。
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「10時間苦しんだら、10万円」

ものすごく単純に言えば、そういうことだ。
自己犠牲を「美しい」とする奴等は顔をしかめるだろう。でもそういう奴等は「苦しさ」を「苦しさ」としてしか扱えない。

金ってのは、苦しさを価値に転化させる。価値に転化させることで、「苦しさ」を評価することが可能になる。効率とか、効果とかでな。そしてそれは、インセンティブを可能にし、優秀な人材を集めることに直結するんだ。優秀な人材が集まるようになれば、当然、「苦しみ」を「苦しみ」としてしか処理できない奴は、評価が低くなり、淘汰されるだろう。年度の目標にチーム成績しかあげられないようなバカは、フロントから自然と淘汰されるんだよ。結果、サッカー界(というか、スポーツ界)特有の、表面的なスポーツの美しさ、自己犠牲の美しさを隠れ蓑にし、能力のない薄汚い連中が平然と生きていられる状況に、風穴をあけることになる。

俺達が本当にやらなければならなかったのは、ビジネスとしてのクラブ経営の成功者を作ることだだった。クラブ経営で大儲けできるようにしなければならなかったんだ。
それは、結果が伴えば、フロントが選手達よりも高い給料を貰うこと、フロントが選手達よりも優先的に給料が上がることを、サポーターが後押しする仕組みを作るということだ。

それは、理想からかけ離れているように見えるだろう。
でもな「きれいな世界」ほどおかしな奴らが巣くう余地が多いんだ。
それを忘れてはいけないんだ。
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話を横浜FCに戻す。

冷静に考えれば、ソシオ制度が「ありえる」としたら、今のクラブメンバーの形だと思う。実質的には、高いファンクラブとしてしか恒久的に存在し得ない。
忸怩たる思いはあるが、認めなければならない現実だ。

ただ、言っとくけど、今のクラブメンバーの「会員」を認めるわけじゃない。何の考察もせず、ソシオ会員からクラブメンバーにそのまま移行した人間を、俺は、心底バカだと思っているし、これは今後も変わらないだろう。傍観してた人間や、上っ面の情報だけでそれを咀嚼もせずくだらねー意見を垂れ流してした人間も同様だ。
当然、会社を肯定するわけてもないぜ。俺は決してあの人間のクズどもを許さない。

それでも「クラブをサポーターが支える」というスキームは、今のクラブメンバーの形しかありえない。
だって、おかしいと思わない?
ボランティアに参加しないことに、どこか後ろめたさを感じながらスタジアムに行くなんてさ。もっと気楽に、あるいは思い入れをこめて行くもんだろう、スタジアムなんて。
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昨日は、「ソシオそのものに、楽しさが無かった」という戦術的な失敗を中心に書いた。これは横浜FCに特化したことで、あまり一般化できないかも知れない。ただ、その戦術的な失敗により浮かび上がった「苦しさは分かち合える」という呪縛については、一般化できるかも知れない。

今後も様々なクラブに危機は訪れるだろう。
ソシオの失敗の影響があるのかどうか知らんが、「市民クラブ」という言葉自体色あせた今、横浜FCの過去から学ぶことはないと思う奴等も多いと思う。
全くそのとおりだ。
ただ、それでも一つだけ教訓らしきものはある。
単に苦しみを分かち合おうとするだけならば必ず失敗する、ということだ。

どうしたらいいかは、それぞれが考えればいい。
この文章の中にある程度のヒントはちりばめたつもりだ。

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そのうち、また気が向いたら「ソシオを巡るお話」シリーズは書くつもりではいる。
ただ、ものすごく疲れるので、あくまでも不定期。これで終わりかも知れない。
そんなことを言いながら、明日も書いてたら笑ってくれ(笑)

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