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憎まれ口的サッカーを取り巻く情報論(スポーツと文化のハザマ)

あー、悪いけど今回の文章は、切れ味が鈍いから(苦笑)

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マスコミからの情報、インターネットで垂れ流されているサッカーに関する情報って、どれをとっても、「スポーツの視点」あるいは「文化の視点」に2分される。

戦術論やプレーの解説を中心としたスポーツの視点。スポーツドキュメンタリーなどもこの分野に入るだろうな。特定選手、スタッフのインタビューもね。

文化の視点っていう意味だとヨーロッパや南米でのサッカーを取り巻くルポとかそうだよね。

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確かにさ、戦術論とかプレー解説とか、見てても聞いてても面白いよ。
書いている人、随分とサッカー知ってるように感じるし。
でもさ、代表戦の後の2ちゃんとか見るとさ、思うのよ。「あーみんな”自分こそサッカー通”と思われたいんだな」って。
だってさ、未だこんなとこで試合の感想を書いている俺なんか、そういうイヤらしい気持ちあるもん。ま、俺の文章を読んでも、だれも「こいつはサッカー知ってる」とは思わないだろうけどさ(笑)

でもさ。スポーツとしてのサッカーを論じるって、自分が選手とかスタッフとかで、実際にサッカーに関わっていないと、果てしなく不毛なんだよね。
間違いなく何の役にもたたない。

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文化的視点の情報も俺はもちろん好き。歴史の重みとか実感できるし、そういうのってすげー勉強になるじゃん。強烈に憧れたりする。

でもさ、日本ではまだプロリーグができて10年なんだよね。
憧れと現実の間にものすごいギャップがあるんだよね。

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で、いっつも思うのよ。
ヨーロッパや南米のような100年の歴史を埋めるために、今何をすべきかって。今後100年の歴史を作るために何をすべきかって。

100年の歴史を埋めるために必要な情報って、本当にスポーツとしてのサッカーを追及したり、文化としてのフットボールを紹介することなのか?ってね。


ときどき(ちゅうか、ま、正直に言えば、しょっちゅう。暇人って、ゆな)考えるのよ。評論家の皆様やネット上で戦術論を書いている人たちを見てさ。
「この人たちは一体、誰に何を伝えようとし、その先に何をみているんだろう?」
ってね。
もしかして「いいサッカーをしていれば、客は後からついてくるって思ってないだろうな?」ってさ。

仮にだよ、万が一そんなことを考えているとすれば、それってすごい傲慢な考えだと思わない?
ビジネス的にも、また他のスポーツに対してもね。

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そう考えると、今、本当にサッカー界に必要な情報って、スポーツとしてのサッカーと文化としてのフットボールを埋めるためにどうすればいいか、って視点なんじゃないかな、って、すげー強く思ったりするわけよ。

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今のサッカーを取り巻く情報って、「成熟した市場向け」なんだよね。
確実にサッカーが根付いているのならいいのよ。でもさ、10年で構築した関係なんて、壊れるのはあっという間だよ。

ま、俺が、単に心配性なだけかも知れないけどさ(笑)

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なんてことを、湯浅さんのサイトを読んで思いました。

もちろんその指摘は全く正しい。
でもそれは一体誰に向かって書かれたものなんだろう?
選手?監督?現場スタッフ?GM?だったメールを送ったほうが良くない?

「お前たちの応援しているチームは、こんなヘボい試合をしていました」

不特定多数に見せて、何の意味がある?
そんなこと痛いほどわかってるそのチームのサポーターは、一体その文章から何の価値を見出すことができるんだろう?
何より、そのチームの試合を見たことがない人間は、それで、そのチームの試合を見に行きたいと思うんだろうか?

誤解してはいけない。ヘボい試合をヘボい試合ということ自体を責めているわけではない。
でもさ、俺はそんな素人でもできる指摘ではなく、年に数回でいいから、マーケッターとしての湯浅さんの指摘を聞きたいんだよね。
たぶんさ、その指摘のほうが「良いサッカーを追求する」ことよりも、数段サッカー界全体のために役にたちそうな気がするんだけどね。

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