つのだまぶろぐ

2004年04月23日

憎まれ口的サポーター論6 共同体の代表としてのチーム(後編)

前編から続く)

以下、復習。
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地域が共同体として期待できない以上、自分たちで共同体を作らなければ、Jリーグは生き残ることはできない。
自分たちのサッカーを中心とした『国』。単一宗教にして、単一民族。
フットボールの文脈が、唯一にして絶対の『法律』。
『政府・行政』(フロント、選手、監督)は、『国民』(サポーター)の幸せのために、『国旗』(チームカラー)をまとい、『祭り』(ゲーム)を提供する。
『国民』は、『祭り』に参加し、声という『税金』を支払う。

国家と言う名の巨大イメージクラブ。
人は、理想国家の国民であるというイメージを買う。
そこで初めて、Jリーグがビジネスとして成立する。
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てな訳で、昨日予告した通り、最近、サッカー界で話題になった問題を、上記スキームに沿って考えてみる。


■ジーコ解任デモ
政府(協会)が、「国民(サポーター)の幸せのために」ゲームを提供するつもりがあるか、法律(フットボールの文脈)を遵守するつもりがあるのかを、再確認するという意味で、評価している。

■ジーコ解任デモ第二弾(5月1日予定)
政府(協会)が、国民の意思を尊重する姿勢、法律を遵守する姿勢を示したにも関わらず、あえて法律を踏み外して要求を通そうとしているため、全く評価しない。
国の外側にある正義感で、国の法律を無視している姿は、サッカーの熱を理解できず、マナー論を振りかざす人間と本質的に違いはない。

■FC東京ゴール裏の椅子
『わざと壊したのでなければ』問題ない。
フロントの対応は、国の外側にある論理で、国民を押さえ込もうとしているだけで、全く評価しない。
イメクラで客を素にさせてどうすんだってのw
「セレッソに勝つ!」っていう、上っ面の言葉に惑わされるようじゃ、前途多難だ。

■鹿島サポーターピッチ乱入
『ある程度は』理解できる。
「お国のため」を全面に出したフロントの対応も、評価できる。

■スタジアムにおける暴力
上の2つに『』をつけた部分は、非常に線引きが難しいところだと思う。
オイラは無条件に「暴力」を認めているわけではないが、全ての「暴力」を否定しない限り、認められる行為と認められない行為に細分化するということは、あまり意味がないということは自覚している。
でもフットボールの文脈において、上のような「暴力」はありうるし、オイラはそれを否定しない。
思わず踏み出してしまう「暴力」ってものは、ある。
「暴力」でしか解決できないことも、ある。
この辺を忘れている、腐った母性的な優しさに甘えた「暴力全否定」のクズよりも、思わず踏み出しちゃうやつの方が人間としてまともだと思っている。
結局のところ、個別ケースごとにみていくしかないんだろうね。
なお、言うまでもないわざわざ他チームに絡んでいったり、「だれかれ構わず」暴力をふるうってのは、論外です。
イメクラで本番を強要ようなモン。単なる遊び下手です。

■スタジアムにおけるマナー
これを口にする奴、多いねぇ。まぁ、嘘までついてマナー論を展開するってのは、横浜FC限定だと思うが...
一言で言えば、イメクラで女の子に説教するバカ親父と同じです。
最悪の遊び下手。こいつらが自分たちの対極にあると思い込んでいる「暴力のために」スタジアムにきてる奴らと、同じレベルだって。

■ファッキン三木谷
法律を無視して、テメーの我侭だけで、国旗を変えようなんざ、論外。
「白黒だとグッズが作りにくい。赤だと沢山作れる」なんてクズみたいな言葉が平然と吐ける怠慢な下衆野郎どもの肩持ってビジネス語る奴なんざ、お笑い種だw

■ジェフ千葉
国民が納得している点で、もっとも難しい問題。
スタジアム移転を先に発表しているわけだから、国民に対しては、仁義を切っているわけだし。
ただ、
・政府も国民も、地域が共同体として成り立っている前提に立っている
・国民と地域住民がここまで重ならないということは、もともと根本的なところに問題がある
という名前を変えたところ解決しない問題点は、意識しておいたほうがいい。
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昨日書かなかった部分について、3つばかり補足しておく。

1つめ。
オイラは、スタジアムの客の棲み分けを、糞食らえと思っている。
そもそも、棲み分けなんて、スカスカのスタジアムで議論したところで、どうしようもないんだ。
これは、スタジアムに入りきらないほど人が来たとき、誰がどのように優先されるかって問題だ。
別に悩む必要なんかない。
声という税金をたくさん払える奴を、入れるべきに決まってるジャン。
あるべき論を見失い、最初から妥協案に安住するような棲み分け論に頼ると、思考が硬直しちまうぞ。気をつけろよ。

2つめ。
地域に実体となる共同体はない。しかし地域には「特徴」は存在する。
国を作る上では、それを最大限生かすべきである。
コンプレックスや憎しみだって立派なアドバンテージだ。

3つめ。
政府と国民というモデルには、ちょっとした特徴がある。
企業と客というモデルだとなかなか説明し難い、文句を言い続けながら、それでも離れられない人間を、きちんと位置付けることができるということ。
そして(あまりにも夢みがちな表現ではあるが)国民ってのは、決して負けないということだ。
もっと正確に言おう。国民は、何度でも負けられるんだ。
内戦があるかも知れない。圧制があるかも知れない。中には一生不幸せで終わってしまう人もいるかも知れない。
でも、最終的に勝つのは、権力者ではなく、国民なんだよ。
だから、これっぽっちも焦んなくてもいいんだよ。
ゆっくり、愉快に行きましょう。
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最後に。
今後、このスキームで説明できないようなことがいくつも起きるだろう。
オイラはそれをスゲー楽しみにしている。
また考えることができる。たくさんの興味深いお題に取り組むことができる。
ワクワクする。
これも、オイラがサッカーをやめることができない、一つの理由なんだと思っている。
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とりあえずは、こんなとこですかね。必要ならまた補足します。
久々に長文で好き勝手書いて、すこぶる気分がいいです。

何にせよ、明日はわが祖国横浜にとって大事な試合。
入場ギリギリになりそうですが、しっかりたっぷりと税金を払ってきます。

なんちゅうか、太字とかで強調するまでもなく...

勝つよ。

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