オイラに対してある程度の共感を抱いてくれる人ですら疑問に思うかも知れないが、それでもあえて、今日だからこそ、この話を貼る。
ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者でなかったので、何の行動も起こさなかった。後日、ナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、自分は社会主義者ではないので、何の抗議もしなかった。それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と 次々に弾圧の輪を広げていき、その度に私の不安は増したが それでも私は行動しなかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから行動に立ち上がったが、その時はすべてがあまりにも遅かった。
そしてすべてのサポーターは、連帯責任という名の、悪しき前例となりかねない腐臭を、しっかりと感じ取れ。
00:55 | トラックバックがんばれなかったすね。太陽工務店&レイ研。
ものすごく残念。責任を痛感するのであればこそ、真正面から受け止めて立っているべきだったのではないかなと、三ツ沢バックスタンドから無責任な感想。
たつさん、どもども。
正直、すごく残念です。
また、団体性の希薄な集団に対して連帯責任を問うバカバカしさについて、今回の件をわがことと考えている人たちは、きちんと把握した方が良いのではないでしょうか。
もちろん、話し合いの結果だとは思うけど、こんなに適用範囲があやふやな事例はないですよ。悪例の極み。正直ふざけんなと思う。
そんなに結論をあせる必要はなかったのではないか。
オイラもそう思います。