つのだまぶろぐ

2004年10月08日

朝日のような夕日をつれて

土曜雨で、日曜晴れの場合は、長男の運動会のため、三ツ沢にはいけません。
ま、さすがに大丈夫だろ、ユース相手じゃ普通に勝つだろ、と思っていますが、こういう試合に限って難しい展開になったりしますので、注意が必要です。
とにかく、1-0でもいいから、絶対に勝て。

ちゅうか、普通に心配なんだけど、この台風...
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以下、細かい説明はしない。わかる人にだけわかればいい。


この石は、「ある種の主張をする人間」にとって、自らに投げつけられた石と言えるだろう。


「石を投げるような奴はサポーターじゃない」

そうかも知れない。
いや、そうなんだろう。

それでも、オイラは、その発露された感情に、思いをはせる。

サッカーの魅力は何なのか。
サッカーは、なぜ、エンターテイメントに成り得ているのか。

サポーターを自称するなら、強くなれ。せめて、強くなろうとしろ。
本当の強さってのは、「力」じゃないんだ。
「際」を、「ボーダーライン」を走り抜け、また「こちら側」に戻って来られる人間こそが、本当に強い人間なんだ。
そう、オイラは、呻く。


一頃オイラは、友人たちとともに、「市民運動家」「共産主義者」との、いまどきでは珍しい非難(恐らく、今でもフロントにいるクズ野郎は、非難するつもりで口にしたのだろうw)を受けた。
本物の市民運動化や共産主義者を見たことがない、無知な人間の戯言にすぎないと、当時は嘲笑ったモンである。
ただ、ここ数年、少し、思うことがある。
彼らが口にしたことは、決して見当はずれではない、と。
「ある種の主張をする人間」は、市民運動家や共産主義者の比ではないほど、実は、人間を信じ、甘い儚い期待の中に存在しているのではないか、と。


そして、改めて石を見る。


この問題に関するサポーターの見解が、ある意味、今のサポーターの民度を示すといえるかも知れない。
ただ、それは、それはこの石を投げた奴を非難する奴の数が指し示すわけではない。
自分に向けられた石礫をしっかりと見つめ、その痛みと悲しみを実感できる人間が何人いるかが、本当の指標となりうるのだと思う。


その上で、それでも、「何か」をつれて、立ち続けることができるか。

「ある種の主張をする人間」にとって、本当の強さが問われる時期に差し掛かりつつある。

23:56 | トラックバック
コメント

正しかろうが間違っていようが、自分らしく生きよ。安易に服従してしまう臆病者よりずっと立派だ。
byアービング・ウォレス

Posted by: : 2004年10月09日 12:49

名無しタン。
ありがとう。

Posted by: つのだま : 2004年10月09日 22:13
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