朝読み返して、たぶん、オイラ以外、何がなんだかわからないと思ったので、差し替え。
ホント酔っ払って興奮してくると、滅茶苦茶だなw
自らの文章力のなさを自己反省するため、昨日書いた文も差し替え文のあとに残しときます...
【きまぐれ偏拾帖】の文章について、オイラは、横浜FCの株主構成を例示しつつ、個人株主制度の欠点が語られていることに反応している。
経済的合理性以外の感情的な理由で言を左右にしないという安定性も必要なのである。ところがサッカーのサポーター個人をそのまま株主にすると、その抑制が利かなくなる。
至極尤もな指摘ではあるが、横浜FCの株主構成は、ここを考慮されたものではない。
サポーター出身が多数を占める当時のフロントと取り巻きおよびそれを利用したい自称プロ社員が、チームを人質に(公式試合のボイコットすらちらつかせた)設立時の株主から株を巻き上げ、「ソシオの決定に委ねる」という、その際の約束を反故にして、自分の都合の良い会社に株を引き受けてもらっただけだ。
今の株主構成はその延長に過ぎない。
すなわち、横浜FCから導きだされるモノは、「サポーターを株主にした時の問題」ではなく「サポーターが経営関わること自体の問題」である。
...ま、大した違いではないんだけど(ちゅうか、他の人からみたら何が違うのかすらピンとこないと思うw)、あの時、個人株主を含め、誰が株を持ったらどういうリスクがあるかを考慮して、持株会の検討を行った身とすれば、ちとカチンと来たわけである。我ながら、心せまっw
ちなみに、念のため言っておくと、書かれている内容の殆どは、同意だったりします。
あと蛇足ついでに。
SHINTAKKIN氏の文章は、結局のところ、サッカーにおいてさえ、「市民」的なモノの実態っなんてものは何もないという指摘も隠されている。
まったくもって同意なのだが、オイラは恐怖する。
幻想に裏打ちされた高い民度なんか、アドバンテージになりえない。
足元は、まだとてつもなく脆い。
だからこそ、オイラは、サポーターに対して「強くなれ、強くなろうとしろ」と喚きつづける。
余りにもビジネス誌的な切り口を見て(ほめてます。念のため)、スタティックな現状認識には同意する部分が非常に多いが、その上で踏み出す一歩が、氏とオイラとでは違うかもしれないと、感じている。
一時は「市民球団の代表的存在」のように騒がれた横浜FCでいうと、実態は「中小企業がオーナー」の球団である。
同社の取引先であるグッズ制作会社や広告代理店など十数社の法人が株式の約60%を保有しており、一般の個人株主にはまず規約遵守を約束させた会員組織に入会後、トータル30%程度の株式が1人につき1万円ずつ割り当てられるだけである。
【きまぐれ偏拾帖】より
文意からはややずれるし、こまごまとした点を突っついているように思われるのも本意ではないのだが、..それでも、オイラはあえて、自らの意地をかけて、ふざけるなと、SHINTAKKIN氏に異議を表明する。
今の横浜FCの株主制度は、「市民球団」「市民クラブ」といった文脈から出てきたものではない。
市民クラブの文脈から出てきた株主制度は、当時の横浜FCのフロントおよびその取り巻きにより、本質的な議論を経ずに、潰されている。
今の横浜FCの株主構成を例示するなら、現在の株主構成に至るまでの間、横浜FCは、実質的に市民クラブの看板を下ろしたこと(少なくとも「何か」があったこと)について触れるべきである。
横浜FCの設立に深く関わった旨の記述があるが、それであれば、尚更だ。
そうじゃなきゃ、横浜FCの近辺にごろごろいる、フリューゲルスの亡霊と同じに過ぎない。
少なくとも、あの時、まともな議論すらされなかった(正確に言えば、まともな議論を当時のフロントに踏み潰された)、幻の持株会制度の原案構築に関わったオイラからすれば、余りにも端折られた論理展開は、ふざけんな、ばかやろう、都合よく解釈してんじゃねーよ、と感じる。(必要ならあのときの議案書送るんで、見て頂戴。)
ま、たぶん、オイラとは入れ違いの人なんだろうな。
オイラが深く関わったのは(過去形w)、横浜FCの2年目からだしね。
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これだと、ただ絡んでるだけのように見えるので...ま、それでもいいんだけどw、一応フォロー。
あの時の持株会とあわせて提案した個人株主の制度は、個人株主の暴走を抑える仕組みを盛り込んだつもりではあるが、完全に制御が効くスキームにはなっていない。すなわち、鳥栖と同じような状況になる可能性ははらんでいるわけで、だからダメだという結論にはなりえる。
(ただし、本当の暴走は検知できる仕組みではあった)
その他、文意全体については、結構同意だったりするところが、自分でも笑ってしまうw
あと、いつか書こうと思っていたが、いい機会なので...
文中、三木谷の発言を引用しているが、オイラはこう思っている。
客層だけを考えるのであれば、プロ野球の方が、御しやすい。
指摘しているプロ野球ファンの弱点は、イコール、経営層の経営努力余地に変換できるからだ。
「三木谷の苦笑」をオイラが苦笑せざるを得ないのは、相変らず三木谷が、客に顔を向けていないからだ。
本質を見極め、本気で改革しようと考えたら、プロ野球の方が、遥かに効果的である、とオイラは思っている。
言い方を換えれば、プロ野球は、マス・マーケティングがまだ有効な数少ない分野のひとつだからね。
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もう一度、横浜FCに関して。
フリューゲルスの消滅からから横浜FCの立ち上げは、正義の戦いであった。
その後のソシオとフロントの争いは、内ゲバと評された。
確かにそうかも知れない。それはそれで正しい認識だと思う。
ただ、正義の戦いには関与せず(できず、という方が正確だが)、内ゲバに関わったオイラのような人間からすれば、正義に戦いに参加した人間が、その尺度だけで、今の横浜FCについて論評するのは、許しがたい。
一方的な論評に対して、それが例え無力で不毛なことだとしても、オイラは、抗議をするし、ご都合主義な解釈には異を唱え続ける。
それは、人からみれば、滑稽だろう。
それでも、俺は、あの時逃げ場を失い、傷つき、追われていった人々に対して、俺なりの仁義を尽くす。
例えそれが、拙く幼い幻想であったとしても。
そして、絶対に忘れてはいけない。
拙く幼い幻想を、幻想と思い知ったことが、横浜FCの、最大のアドバンテージであるということを。
断言する。
それを見失った奴が書くロジックなんざ、どんなにまともであろうが、クズに過ぎない。
最後に一つ。鳥栖のサポーターに対して。
オイラが大見得をきれるのは、チームが存続していればこそ、だ。
存続しなければ、突っ張ることすらできないんだよ。
もっと、何が最優先か、考えてくれ。
時間は、ない。
前々から疑問に思っていたのですが、幻想でない(実体を伴った)市民の参加意識に支えられたスポーツクラブなんてモノは世界中どこを探しても存在しないし、それでもなんとかやっていけているワケですよね。既に上手くいっているものに対して、何故恐怖を感じなければいけないのですか?
Posted by: masuda : 2004年07月29日 12:40誤解して欲しくないのは、実体を持ちたいというわけではないです。
幻想を幻想と自覚し、その上で遊びましょうってことです。
そうじゃないと、何らかの「悪意」に触れたときに、堪えらず、自家中毒を起こしてしまう。
>それでもなんとかやっていけているワケですよね。既に上手くいっ
>ているものに対して、何故恐怖を感じなければいけないのですか?
果たして「既に上手くいっている」のかという問題はあると思いますが...
ある時点での成功事例が、恒久的な成功事例ではありえない。
企業の成功体験は、時には停滞、破滅を生む。
バレーボール、大相撲、そしてプロ野球。
スポーツ界
成功の本質ってなんなんだろう。
そこを見てみたい、と思っています。
もちろん、そんなもんないかも知れないってことは、当然のごとく自覚しておりますw
子育てに100%の正解がないようにw
あと、スポーツ興行って、海外も含めて、まだ形になっていないと思っています。
(強いて言えば、アメリカは形になっているかも知れませんが...)
少なくともサッカーに経済論理が流入してきたのは、そんなに古いわけではない。
だからこそ、うまく整理できれば、ものすごい価値が生まれるのではないか、Jが世界最高のリーグといえる日が来るのではないか、そう思っています。
ある意味オイラは、横浜FCが立ち上がったときの夢を、まだ見つづけているんだと思います。オイラはまだ、探しているのです。
結論。
オイラは、夢見がちなオヤジw
つのだまタン、どもです。忘れたころにレス(笑)
> 幻想を幻想と自覚し、その上で遊びましょうってことです。
ネットで騒いでいるだけの奴はともかく、サッカーの現場で動こうと
している奴は自覚してる気がするけどなぁ。
> ある時点での成功事例が、恒久的な成功事例ではありえない。
いや、それは当然のことだし。
今日の試合を楽しめて、来週の試合を心待ちにして、来年も多分試合を
してくれる保証があれば十分じゃない。「来年もなんとかなりそう」を
100回繰り返せばクラブの歴史は100年になるでしょ。欧州のクラブの
歴史はそうやって築き上げられたものだし、それで構わないと思うんだけどな。
> だからこそ、うまく整理できれば、ものすごい価値が生まれるのではないか、
> Jが世界最高のリーグといえる日が来るのではないか、そう思っています。
うーんと、俺にとってサッカーとは刺身のツマ、ビールのおつまみに過ぎないのね。
週末に少し遠出をしてビールをかっ食らう、そのための道具。カルビーやら
亀田製菓のスナックと同列のものです。それが銀座の一流料理屋のように
「価値」やらなにやら主張されてもなぁ。
以前の横浜FC(今もか?)って、なにか新しい文化を作る気でいるのが見え見えで
すごく危険だなぁと思ってたんですけどね。何が危険かを伝えられる文才がないのが
申し訳ないのですが、餅は餅屋で小説家の賀東招二氏の日記を紹介しておきます↓
http://www.gatoh.com/mess_02.htm (7月28日の項)
要は、ジャンクフードはどこまでいってもジャンクフードなわけで、へん
に格式ばったことをやろうとするとジャンル全体の硬直化を
招くってことね。
どもども、masudaタン。
正直言って、そういう考えであれば、オイラのところに来ても面白くも何ともないと思いますが...
masudaタンは、ここに何を求めてきてるんだろう?
その辺に興味があったりしますw
で。
細々と書いてもいいのですが、ちょっと不毛かも知れないので。
はっきり言って、自分の応援するチームがなくなっても構わない、と思っている人(あるいはそれをロジックで蓋ができる人)に対して、コメントすることは、何もないです。
>今日の試合を楽しめて、来週の試合を心待ちにして、来年も多分試合を
>してくれる保証があれば十分じゃない。
その「保証」ってのが、一体誰がどう担保してくれんのか、ぜひ教えて欲しいモンですな。
ま、別にオイラは存続ヲタではないので、落とし穴におびえて暮らしているわけではありません。
感情の発露、対象とのバランスの喪失感といった、サッカーの楽しみ方の一つを提示しているに過ぎません。
次の試合、次のシーズンに試合を見るためにね。
あと、賀東招二氏の日記については、提示すべき人が違うんじゃないの?
良いサッカーを指向している人に教えてあげれば?
オイラ自身は「ジャンクフードは、ジャンクフードとして取扱えよ」と書き続けているわけだし。スナック菓子かどうかは、別にしてね。
逆にmasudaタンの方が、スナック菓子しかジャンクフードとして認めない、と言っているように見えるけどね。
一応いろんなとこに書き込まれているmasudaタンの意見を拝見すると、要は
■コア層の意見を尊重しすぎると、対象(この場合は、サッカー)自体が、衰退してしまう■
というお考えが、根底にあるのかなと思っております。
それはその通りでしょう。
でも、オイラ的には、だからなに?って感じです。
前にも作文したことがありましたが、違う意見のコア層が対立して、双方、相手を馬鹿呼ばわりできるのは、お互いが、客という同一の立ち位置だから。
それをどうバランスとっていくかは、それをビジネスとする人間が、自己の責任を持って選択すべき問題。
そんなモン、客に考えさせてどうするのw
フロントを罵るどんなサポーターよりも、フロントを馬鹿にしてますよ。
客は自分の求めるものを訴えつづけりゃいいんですよ。
自分の寄り添いたい物語を求めつづければいいんですよ。
個々の意見に翻弄されて、潰されるぐらいの世界なら、そんなモン、黙ってたって潰れますよw
以前、とある掲示板で別の方とやり取りしたときにも思ったんですが、コア層を否定する人間ほど、よくよく話を聞いてみると、びっくりするほどフロントを馬鹿にしてたりするんですよね。
まぁ、その辺のバランスを崩すところが、またサッカーの魅力だと思っているのですが(どっちかといえば、ネットの魅力かも知れませんがw)。
上っ面の例えをそのまま使いましょう。
ビールのおつまみと嘯くmasudaタンとサッカーの魅力を口泡飛ばして訴えるオイラ。
本当にバランスを崩しているのは、果たしてどっちなんでしょうね?
Posted by: つのだま : 2004年08月03日 13:19またまた忘れたころにレス。
> 正直言って、そういう考えであれば、オイラのところに来ても面白くも何ともないと思いますが...
> masudaタンは、ここに何を求めてきてるんだろう?
> その辺に興味があったりしますw
いやいや、つのだまタンの書くものは偏見に満ち満ちていて非常に面白い。
(誉めてるんですよ、念の為)
偏見を飾らず出せる人って好きです。たまに混ぜっ返したくなるけど。
> ■コア層の意見を尊重しすぎると、対象(この場合は、サッカー)自体が、衰退してしまう■
> というお考えが、根底にあるのかなと思っております。
それはちと違う。「消費するしか能のないオタクは分をわきまえな」ってこと。
活力を創造的活動にまで回せるファンは各クラブ数人〜数十人って所でしょう。
そういった人たちはあれこれいう前に行動に移しているだろうしね。
ま、アニメーションやライトノベルでは創造力を持った人は創る側にまわって
しまう(だから賀東のような偏見が出てくる)のに対して、サッカーでは
ファンの立場に留まれるってのが違いですか。
ちなみに、私自身「消費するしか能のないオタク」なわけで、自戒もこもっていたりするw
> 本当にバランスを崩しているのは、果たしてどっちなんでしょうね?
そりゃあどっちも崩れてるでしょ、崩れてる向きが違うだけで。
Posted by: masuda : 2004年08月06日 06:39masudaタン
どもども。上記コメントを頂いた直後から、あっという間に波に持っていかれましたw
トップの最新エントリーから落ちちゃったので、もうごらんになっていないかも知れませんが...
>いやいや、つのだまタンの書くものは偏見に満ち満ちていて非常に面白い。
正しい読み方だと思いますw
>「消費するしか能のないオタクは分をわきまえな」ってこと。
ぴったり考えが合致するかどうかは別にして、結構近いのかも知れません。
どっちかというと今のオイラも「消費するしか能が無い」部類の人間だと思っています。
だからこそ
「お前ら、活力を創造的活動にまで回せるファンにもっと敬意を示せよ」
といいたいんだよん。
「消費するしか能がないオタク」が、自分は物事を俯瞰していると勘違いしている姿にオイラは、とてもむかつくのです。そういう奴が「活力を創造的活動にまで回せるファン」を上っ面の言葉でしか取り扱っていないことに腹を立ててしまうのです。
この辺、もうずっと書きつづけていることだから、めんどくさいから書かないけどね。
>ま、アニメーションやライトノベルでは創造力を持った人は創る側にまわって
>しまう(だから賀東のような偏見が出てくる)のに対して、サッカーでは
>ファンの立場に留まれるってのが違いですか。
「ファンの立場に留まれる」って部分をどう捉えるかによって、解釈が違うんでしょうね。
創造力を持った人間がファンの側に留まり、しかも何らかの機能を担えることが、サッカーの魅力だと思っています。
もっと細かく書いてもいいだけど...間もあきすぎちゃってるんで、とりあえずご容赦。
たぶん、オイラがむかついているポイントも、どういう論理展開するか判りつつ、コメントを書いてくれているんだと思うしw