つのだまぶろぐ

2004年04月14日

イラクな話

いくらノン・コミュニケーションをポリシーとしているオイラでも、このまま「わからん」状態だと、自転車を手にしたのに、押して歩いている人のような気がするので、トラックバックの練習をしてみる。まずは自分の掲示板
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>>99 イラクの人質

事件の質から言っても、全ての情報がオープンになるわけがないし、ある程度情報が集まり、分析が出来ていたとしても「わかりません、混乱しています」と、とぼけるだろう。関係者の何人かは、知っていることを墓場まで持っていくだろうし、公開されたとしても数年、いや数十年先だろう。

だからオイラは、この件に関してコメントする勇気をもたない。
それは、イラクの問題、全体にしても同じだ。
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オイラができることは、この問題を考えるときにできることは、自分の立場に置き換えることだけだ。

自分がイラクの人ならば。
そして、
自分の息子が、イラクに行きたいと言ったら。
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もし、自分がイラクの人ならば。

自分の国を自分の家族を守るため(あるいは復讐のため)、オイラはゲリラになるだろう。
死ぬのが怖くて、ガタガタ震えて、涙を流して、小便漏らしながら、それでもゲリラになるだろう。
弱ッチイからすぐ死んじゃうと思うけど、もしも奇跡的に生きていたとしたら、目的のために手段を選ばず、銃を向け、丸腰の外国人を誘拐するだろう。
ナイフを喉元に突きつけるだろう。

こう考えること自体、きっと、人には、汚く、醜く見えるだろう。
でも、人間は、憎しみに支配されることがある。
人間は醜悪になれる。
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もし、息子がイラクに行きたいと言ったら

オイラは必死になって止めるだろう。ぶん殴ってでも止めるだろう。
死んで欲しくないからだ。
信念とか正義とかそんなもん関係ない。憎しみは、崇高な思想や正義では、決して浄化できない。

それでもまだ行くというなら...

勘当するだろう。
テメーは、オイラの子供ではない。
テメーが死んでもウチから葬式を出さない。
どこで死のうが知ったこっちゃない。

それが、信念を持つ者に、信念を貫く者に対峙するしたときの礼儀だと思う。
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別にどんな意見があってもいい。知識を、知恵を出し合えばいい。
本当の拉致であろうが自作自演だろうか、善意のボランティアであろうがプロ市民であろうが、左巻きであろうが右巻きであろうが、自衛隊派遣賛成であろうが反対であろうが、オイラ的には知ったこっちゃない。
戦争をおもちゃにしても、それすらも、良いと思う。

「危険な地域」と一括りにされた、イラクという土地は、あまりにも遠い。

人間は、醜悪になれる。
そこからスタートしなけば、どんな分析も、どんな解説も、どんな歴史的背景も、どんな知識も、どんな知恵も、オイラには遠い。

22:40 | トラックバック
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