今日の記者会見、どんな感じだったのかねぇ。行きたかったんだけど、夕方まで長男に昼寝され、断念しました...
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この日に書こうとしていた内容です。引っ張った割には、出来は悪い。すまん。しばらくは子育て優先。許してくれ。
長いんで、今日前編、明日後編の2部構成。
なお、今回は「サポーター」という言葉を、いわゆる「ゴール裏」に限定して使っている。
この辺、オイラが通常使うニュアンスと違っていたりするので、その辺は注意して欲しい。
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文章力、表現力がないオイラのような人間にとっては、自分の伝えたいことをあらわすために「例え」をあげることが多い。
「なぜわざわざクズのような試合を見に、スタジアムに行くのか」
というのは、オイラのメインテーマであるわけだが、この例えとして、「スタジアムは風俗である」というのは、非常に気に入っていたりする。
ただ、あまりにも1人称であるため、オイラが罵倒し、軽蔑し続ける「スポーツとしてサッカーを見に来ているという人間」が、「ただのバカ」としか位置づけられていないため、一足飛びである印象をもつ人も多いと思う。
オイラ的にはそれでも充分なのだが、「ただのバカ」が余りにも多く、スタジアム内外で「サッカーの魅力」を損なっている姿を憂い、3人称的にアプローチしてみようかな、などと考えていた。
で、考えた例えが...
祭りにおける神輿
...広げた大風呂敷の割には陳腐な例えだな、という真っ当な反論に、貸す耳はない。
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スタジアムは、祭りの場である。
ピッチは、神輿である。
サポーターは、神輿を担ぐ。
神輿は、担がれてこそ輝く。
見物人は、輝いた神輿を観に来る。
もちろん、目新しい例えではない。
しかし良く曲解される。
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見物人が、神輿の担ぎ手にフロント、スタッフといったクラブの裏方を当てはめて、サポーターと同列に扱うのは、典型的な曲解例だ。
以前「CS(顧客満足度)は、サポーターが考える問題だと思います」って文章を見つけて、仰け反ったことがある。
サポーターも客。ビジネス的な構図で見れば、間違いなく、客、なの。客にCS向上を考えさせるっておかしいだろう、普通に考えて。
まぁ、ここまで酷くなると、単に著しく分析能力が欠如しているキチガイに過ぎないけどな。
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見物人が、神輿を見に来ていると錯覚するケースもある。
このクズどもは「俺はサッカーを見に来ているんだ」とほざく。
「だからサポーターなんかいらない。」「サポーターなんかいるから、サッカーを見に来る本当の客が増えない」と嘆く奴もいる。
こいつらは、神輿だけ展示すれば祭りが成り立つと思っているのだろう。
「揺れて見辛いから神輿を担ぐな」といっているようなもんだ。
そのバカさ加減は、本当に愉快である。
ま、本当に惨めな奴は、サポーターでありながら、この論理を使う奴らだろうがな。統一応援を受け入れられない奴等が、良く使っていたよ。相手を攻撃するつもりで、自分を完全否定してしまう姿は悲劇的ですらあったがな。
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もうひとつ、曲解というか忘れられがちなこと。
それは、神輿と担ぎ手がいれば、祭り自体は成り立つということ。
担ぎ手に満たされたスタジアム。
それがあるべき姿に決まってるじゃん。
はっきり言えば、スタジアムに見物人なんかいらないんだ。
最低限必要な見物人は、担ぎ手の入れ替え要員だけ。リタイヤした担ぎ手を受け入れ、それを補う担ぎ手を供給できれば充分だ。
100歩譲ったとしても、自分が何を見に来ているのか、きちんと理解できるレベルまでだよ、見物人として認めていいのは。
今のスタジアムにおける住み分け論は、あるべき姿を見失ってしまっているんだ。だから「神輿を見に来ている」というバカが平然としていられるんだよ。
あるべき姿を見失ったバランス論は、本質をうやむやにする。気をつけて使わなければならない。
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客が、担ぎ手と見物人に分かれる。
何年もサッカーの試合を見て、この構造を理解していないバカ(こいつらは、きっと片目で試合を見ているのだろう。全部見えているつもりで、それぞれの距離感が、全くつかめていない)は論外だが、この構造を理解していても(いや、理解しているからこそ)、担ぎ手と見物人の壁は意識せざるを得ない。
別に自分の立ち位置を見失って、クラブの経営を慮っている訳ではない。担ぎ手の供給という意味で、心配しているのだ。
今のところ、非常に限られた例外はあるものの、この壁を低くする方法は、チームの勝利しかない。
(ちなみに、ほぼ無尽蔵に新規客が供給できたJ設立時は「非常に限られた例外」に分類される)
それでは、無理やりでも壁を低くして、担ぎ手を供給するべきか。
もちろん、オイラは「いいえ」と答える。
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なぜか。
サポーターが担いでいる神輿は、その重さが一定ではないからだ。
状況が良いときには、軽く、悪いときには、重くなる。
チームが勝ち続けている時は、ある意味、担ぎ手なんかいらないほど、神輿は軽い。しかし、一転して、負け続けている時のそれは、とてつもなく重くなる。
断言してもいいが「覚悟」を決めていない担ぎ手は、その重さに耐えられない。
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念のため補足しておくと「勝ち続けているとき」「負け続けているとき」というのは、単に1シーズンにおける連勝、連敗「だけ」をさすものではない。どちらかといえば、十年単位の浮き沈みをさす。なので、1シーズンのみのJ2降格とかは、「沈み」のうちには入らない。
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誰もが参加できるゴール裏(サポーターエリア)。
壁があるだけでキーキー叫ぶバカにとってみれば、確かに理想であろう。。
しかし、担ぎ手として意識していない人間を呼び込むのであれば、悲劇しか生まない。
単なる多数指向は、組織を無目的化する。
少なくとも、その悲劇を、横浜FCに関わる人間は、経験済みである。
担ぎ手と見物人の間にある壁。
この壁を低くしたところで、現状は、何も変わらない。どちらかといえば、自殺行為といっていい。
見物人たちに、スタジアムは本来の姿を意識してもらう方が先である。
本来の姿を意識してもらう方法の一つとして、ビジュアル系の応援を導入するというアプローチがある。
誤解されがちであるが、ビジュアル系のアプローチは、「参加のしやすさ」が利点なのではない。
「参加をしやすくする」ことで、「スタジアムでは、担ぎ手としての機能を果たす必要がある」という意識を植え付けることが出来る点が、利点なのだ。
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サッカーの魅力という観点から見れば、見物人と担ぎ手の分断は本質的な問題ではない。
「サッカーを見に来ました」という寝言をほざく、サッカーがもつ魅力の構造を理解できないバカを、これ以上スタジアムに増やさないことの方が、よっぽど大事なんだ。
平和時にしか使えない「優しい」寝言は、害悪にしかなりえない。
そもそもスタジアムというのは戦いの場なのだから。
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関連事項を余談として2つほど。
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1つめ。
以前にも取り上げたが、Jのクラブに金がないという現状を、選手達が補うべきか(あるいは「金がないから」といって諦めるべきか)、フロントが補うべきかという議論に、オイラ的には少し違和感がある。
金がないという現状をどうするかという点が表に出て来ないからだ。
(問)Jリーグは、売れない商品である。なぜ売れないのか。
(選択肢1)商品としての質が低いから。
(選択肢2)売り方が悪いから。
選手が補うべきという人は、選択肢1を選択する。
フロントが補うべきという人は、選択肢2を選択する。
心情的にフロントが補うべき(正確に言えば「選手が補うべきではない」)と思いながら、選手が補うべきという立場をとるものが優位に見えるのは、フロントの売り方の悪さを具体的に示していないからではないか、と思う。
言い方を変えると「売り方が悪い」と立場をとる人が、既存のアピールポイント(「見る」エンターテイメントとしてのサッカー)に執着しているように見える点で損をしているのではないかな、と。
オイラなんかは単純に「アピールポイントがズレているから売れないんじゃないの?」って思っちゃうんだよね。
客が2種類に分かれていること。
優先されるべき客はどちらであるべきか、ということ。
10年という期間が長いのか短いのかという議論もあるだろうが、少なくとも「サッカーの魅力」をアピールする手段を再構築すべき時期にきていることは確かではないだろうか。
結局のところ、今のJの現状は、「見る」エンターテイメントとしてサッカーの限界である。
Jが生き残るためには、新しい視点でサッカーの魅力をアピールしていかなければならない。オイラの視点があっているかどうかは別にして。
その辺の自覚なく(あるいは薄く)、安全な場所から「良い」サッカーを語る奴には、オイラは心底ムカついている。
この議論については、引き続き、推移をみていくつもり。
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2つめ。
見物人なんざクソ喰らえ、あくまでも担ぎ手重視のオイラだが、新規顧客開拓(スタジアムに新しい客を呼ぶ)ためのマーケティングには、結構期待していたりする。ただ、マーケティングを徹底している(生かしている)クラブって少ないという印象が強い。
「サッカーを見に来る客は、普通のスポーツを見に来る客とは違うんだ」とか思ってんだろうね。
これって、見物人を増やすための方策を、担ぎ手が増えないことを理由に却下してんだよね。
この辺、「甘えんな!」ってもっと突っ込んでいいはずなのに、あんまり突っ込む人がいないので、オイラが突っ込んで見ました。
こういう突っ込みこそ、見物人どもの役割だと思うけどね、オイラは。
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本論より余談の方が長い時点で、悪作文の典型だが、とりあえずこのままアップします。
誤字脱字等、明日以降随時修正していくつもりです。だって推敲する時間なかったんだもん。
なお、後編は今日書いたことを軸にしながら、わかの観戦日記1月9日のコラムへの回答を中心にまとめるつもりです。
たぶん...明日...
頑張るっ!