「憎まれ口」と銘打っておりますが、ただの読書感想文です。
この本に憎まれ口なんて叩けない(笑)
ただ、ぽつぽつと書いているサポーター論とリンクする部分が多いため、憎まれ口シリーズにいれておこうと思った次第。
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とにかく、面白い。夏に買って、今まで3回読んだ。根本的に読書量が少ないオイラにとって、これはこの本を買って以降、この本しか読んでいないことを意味する(笑)
1回目は、没頭して。
2回目は、少し突き放して。
3回目は、楽しんで。
恐らく、これからも何度も読み返すことだろう。
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印象的な文章に満ち溢れているこの本は、もちろんそれに触れるだけで十分に価値がある。
試しに、オイラの琴線に触れた文章に線を引いていったら、殆どにページに線が引かれることとなった(笑)
でも今回は、一つ一つの文章ではなく、オイラのハートを鷲掴みにした、構図、構成みたいなことについて書こうと思う。
この本を好きな人からは、思いっきりひかれそうな予感もするが、気にしない。
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■サッカーのゲームの中に、サポーターを明確に位置付けていること
以前こんな作文を書いていることからもわかるように、オイラは、現状の「サッカーを語る視点」というものに辟易している。
素人玄人問わず、サッカーに関して何か書いているやつらの殆どが、「ピッチ」上のことだけを語ろうとしている。こいつらの殆どは、サポーターの存在を無視するか、せいぜいノイズ程度にしか扱えない。
一方で、たまにサポーターを取り扱った文章を読むと、今度は極端に細分化した「個」としてしか扱っていないことに驚く。
重大な欠落。従来の安易な視点に頼り、そのことに疑問すら抱かないバカどもへの苛立ち。
何より最も腹がたつのは、その欠落が嫌で嫌でたまらないオイラが、全くその欠落と埋める能力がないという事実。
諦念に支配される中、とあるBBSでこの本の紹介文を読んで、微かな期待を抱き、即購入。
数ページ読んだだけで思った。
やっとめぐり合えた、と。
この本は、サッカーを取り扱う文章の中で唯一、サッカーのゲーム、そしてゲームの集合体であるシーズンを語る中で、サポーター(あるいはスタンド)を「必然」として明確に位置付けている。
だからこそ、選手、監督、スタッフといった「ピッチ」と接触しながら、きちんとサポーターの側に戻ってこれる。絶妙なバランス感覚。
アウェイにチームと同行した後、ネットの掲示板で他のサポーターのチーム批判の書き込みをみて、自己を取り戻すシーンは、感動的だ。
サポーターとクラブが揉め事を起こすたびに「ピッチ」の代弁者を気取ってクダラネー文章を垂れ流すジャーナリストや、「ピッチ」との距離でしか価値を見出せない「選手のため」を簡単に口にするバカサポーターには、永久にわからない感動かも知れないけどな。
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■サッカーの持つ疑問に正面から取り組んでいること
「エラスはひとつの信仰だ。決して、何故と問いかけてはならない。」
そう書きながら、この本は、疑問に満ち溢れている。
なぜあいつらは弱小チームの試合を見に行くのか?
なぜあいつらは必死になって声をだしているのか?
なぜあいつらはお行儀が悪いのか?
スタンドは、何のためにあるのか?
そもそもサッカーを見に行くことに意味があるのか。
etc
なぜ?なぜ?なぜ?
その疑問は、スタジアムに来たことのある人間であれば、誰でも持つ疑問である。
そして、殆どの人間が、スタジアムに通ううちに、いつの間にか折り合いをつけたつもりになっている疑問である。
サッカーをめぐる、本質的な疑問。
作者(あるいは訳者)の印象的な文章で書かれる解または解釈に目を奪われがちだが、この本の本当の素晴らしさは、この疑問に向き合っているところにある。
面白いのは、疑問と解のどちらに共感するかで、読者にとってのこの本の位置付けが変わってしまうことだ。
疑問に共感する読者は、この本を次の試合のために読む。
しかし解に共感する読者は、この本をイタリアの出来事として読む。
そして都合よく、中身をリジェクトしていく。
サッカーそのものが持つ力を無視し、そいつらはこういう。
「お行儀の悪さまで、欧州を真似ることはありません」
けっ!ってなモンである。
昔も書いたが、この本を読んだ人間にとってこの本がノンフィクションなのか、フィクションなのか。オイラにとっては、その人を見る上での結構重要な基準になりつつあったりするのである。
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まぁ、とにかく読んでください。
高い本ではありますが、本当に、絶対に損はないと思います。
最後に、もう一回だけ、尊大な物言いをしてしまおう。
オイラの作文を読むと腹が立ってしょうがないのに、たまに来てしまう、あなた。そんなあなたに、強くお薦めいたします。
この本を読んだ後に、オイラの過去の作文を読むと、怒りが10%ほど減ると思います。
ぜひお試しください。